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2005年11月30日 (水)

間違ってるよ

 先週日曜のアキバイベント「萌えてはいけない」について、大間違いの記事があったので訂正。(先方にはコメント投稿できなかったので、しかたなくトラックバックします)

>杉山学長が「インフラの整備がジャンルの底辺を広げる」と支持したのに対し、岡田さんが「数多くの作品がはん濫するのはジャンルにとって悪」と反論。夏目さんも「日本のマンガやアニメが成功した理由の研究に予算を使うべき」と主張した。

 行った人はわかると思うけど、これ間違ってるよ。
 「インフラの整備がジャンルの底辺を広げる」と発言したのは僕。というより、当日の僕の主張は「インフラ整備によって作品数の拡大を図り、それによって『結果的に』質の上昇を目指す」で一貫してたはず。
 僕の意見に「数多くの作品がはん濫するのはジャンルにとって悪」というニュアンスの反論をしたのは大月さん。もちろん、こういう単純なセリフではなかったけど。

 だいたい、プチクリを提案している僕が「作品が氾濫するのは悪」などと言うはずが無いよ。
 この記事まとめた人、イベントを見ずに、あとで配布されたプレス資料かなにか見て書いてるんじゃないの?

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2005年11月29日 (火)

もう限界

 髪の毛が伸びすぎたので床屋に行ってきます。
 僕は「床屋での時間」というのが歯医者に次ぐほど苦手。もう退屈で退屈でしかたない。いっそのこと坊主頭にしたいぐらいだけど、坊主というのは一番メンテが必要な髪形だそうだから、それもダメ。
 床屋での注文はこの20年間、ずっと同じ。

 「前髪は目にかからない程度。横は短くして耳を出してもみ上げはナシ。後ろは刈り上げ寸前まで短くして」

 これだけの指示で、床屋によって、店員によってさまざまな違いが出る。面白いといえば面白いけど、やはり僕にとっては退屈な時間だ。

 明日からしばらくTV出演とか続くので、今日中に行くしかない。
 しぶしぶ、いまから行ってきます。

 ・・・(2時間後)・・・

 失敗っ!
 指示、間違えたっ!
 「もみ上げはナシ」じゃなくて、「短くして」だったっ!

 なんか「遅れてきた中途半端なテクノ」みたいになってるよ、僕の髪・・・

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検索

 毎日、「プチクリ」をキーワードにしてネットを検索している。
 「爆笑問題のススメ」から、ひと月近くたった。すでにプチクリという言葉は独り歩きしているようだ。
 自分なりに定義づけて、さらに自論を展開している人もいる。

 ブログの一つ一つをかなり丹念に読む。面白い。賛成してくれる人もいるし、反発している人もいる。才能マップを書き出した人もいるし、僕の単行本を薦めてくれる人もいる。

 今日、グーグルで「プチクリ」を検索したら11700件、ヒットした。
 発売日にはどれぐらいになってるかなぁ。

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2005年11月28日 (月)

もうすぐM-1

 M-1というのは「漫才日本一」を決める、年末にやる特番のことだ。
 第三回から見ているんだけど、これが好きでねぇ。
 テレビでやってるお笑い番組が好き、なんていうのを40過ぎの中年男がブログに書くのもいまいちよろしくない、と思うけど事実だから仕方ない。

 毎年、楽しみなのが審査員のコメントだ。ピン芸人対象のR-1グランプリがいまいち面白くないのも、審査員がダメだからだと思う。その点、M-1は「出演する芸人を本気にさせる審査員」というコンセプトがはっきりしていて面白い。
 M-1では中田カウス師匠や松本人志のコメントが的確で、感心させられる。小朝があれだけ切れる男とはいままで知らなかった。面目ない。
 残念なのは今年も司会が島田紳助ではない、ということ。ということは松本人志は審査員に入らないんだろうなぁ。
 新番組「リンカーン」を見てる限り、別に松本は「一番面白い男」でありつづけることから降りたみたいだから、もういいのかなぁ。

 あ、これは松本に対する批判とかじゃない。どんなお笑い芸人でも、どんな天才でも絶対に「最前線でなくなる」瞬間はやってくる。その時にどうするか。島田紳助みたいにさっさとコンビ解散して別の人生(司会者など)を探すのも正解かもしれない。志村けんみたいに、「昔サイコーに面白かったおじさん」というキャラクターに落ち着くのもアリだろう。
 でもリンカーンで松本が目指してる先が、いまいち見えない。

 別にダウンタウン司会でなくてもいいよね、アレ。
 ダブルコージあたりが司会で、「松本チーム」「浜田チーム」の二手に分かれる形式でいいじゃないか。

 と、なんとなく雑談したかった日曜の深夜である。
 では、おやすみ。

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2005年11月26日 (土)

書店で買ってくれるとうれしいです

 どの作家さんもそうだったろうと思うけど、初めて自分の本が書店で売られたときは、不安でしかたなかった。
 担当編集さんの「評判いいですよ」の一言に舞い上がったり、ネットの批評に落ち込んだり。近所の本屋さんに、日に何度も足を運び、平積みされている冊数を数えたり、立ち読みしている人のうしろから「買いたくなれ~」と念力を送ったり、自分の本を目立つ場所へこっそり移動したり。 
 今では、お蔭様で何冊も自分の本が出ているので、少しは平静を装えるようになってきた。
 ・・・はずだったけど、今回はそうもいかない。
 「プチクリ」は、僕にとって新境地開拓の本だから。

 今回の本、ターゲットど真ん中は、実はニートやフリーターと呼ばれる人たち。
 ヒットしたドラマや、ヒットしてる曲ばかり追いかける人たち。。
 マンガは、コンビニでジャンプやマガジンを立ち読みするだけでOKの人たち。
 ネットを見ることがあっても、自分でブログを開設したりしない人たち。
 いま一番、「普通」な若者達と言えるかも知れない。
 そういう人達に、一番読んで欲しい。
 「プチクリ」は、そういう人達が一歩進んで、もっと自分の人生を、積極的に楽しく生きていくための方法を、提案する本だ。
 彼らが読んでくれれば、きっと、すごいインパクトを与えられる。
 すごく、元気を引き出せる。
 そして、一番役に立つと思う。

 が、そこで問題だ。
 そういう人達に、どうやって僕の本に興味を持ってもらえばいいんだろう?
 ごく一部の本をのぞいて、ほとんど「活字」の書籍が売れないこの時代に・・・

 僕の従来のファンに、こういう「ぬるい人」は少ない。
 自分なりのアンテナを持っている。
 ネットで評判の本をすばやく書店でチェックしたり、これと思った映画は劇場できちんと見たり、自分が注目してる作品はDVD-で持っていたり。自分のブログに感想や批評を発表している人だって少なくない。
 そういう人なら、「本が出ました」とこういうところで一言書けば大丈夫なのだ。
 おもしろそうだと思えば、必ずチェックしてくれる。
 本屋で手にとって見てくれる。
 
 そういう人たちは、既に「プチクリ」の場合も多い。
 もちろん、この本は、既に「プチクリ」の人たちが読んでも、充分に楽しめるようにできている。自分が今までやってきたことが、総体としてきちんと言語化され、評価されることは、気持ちが良い。今後のがんばり方向だって、ますますはっきりしてくるだろう。
 そういう意味では、充分に役に立つようにできているつもりだ。
 
 が、普通のニートやフリーターの場合、ここで僕が何を書いても、動いてくれない。
 彼らが動くのは、「みんなやっていること」だけなのだ。
 ベストセラーなら読む。
 TVで紹介されていれば読む。

 ところが、「プチクリ」は12月8日発売なのに、いま現在、まだオンライン書店では予約も始まっていない。
 ついこのあいだ部数と定価が決まったばかりだから仕方ないけど、「積極的な営業をしている」とは言いがたい状況なのだ。

 そんなわけで、アンテナの鋭いネットのウォッチャー諸氏に、ここでお願いをさせて下さい。
 「お願い」なので、ここからは「ですます調」で日記を書きます。

 できれば、オンライン書店ではなく、本屋さんでプチクリを買って下さい。
 
 本来、物書きである僕がお客様であるみなさんにこんなことお願いするのは筋違いです。
 そこを、あえてお願いします。

 「プチクリ」は初版部数がそんなに多くありません。
 有名な作家でもなく、タレントさんのタイアップ本でもないため、ベストセラーを約束された本ではないからです。
 だから、地方の小さな本屋さんには入荷さえされないかもしれません。
 「プチクリ」を絶対に読みたい、と熱心な方ほど、「オンライン書店で」ということになってしまいます。
 でも、ベストセラーの起爆力は、本屋さんが「この本は売れる」と実感することから始まります。
 実感すれば、取次ぎにたくさん、注文してくれます。
 その動きが、取次ぎへ、そして出版社へと波のように波及していく結果、増刷もきまります。
 在庫が潤沢になり、平積みの面積も大きくなります。

 たしかにオンライン書店は便利です。僕もしょっちゅう、どころかほとんど毎日利用しています。
 本屋さんに注文するなど、時代に逆行することかもしれません。
 それを承知で、あえてお願いします。

 オンライン書店ではなく、本屋さんで「プチクリ」を買って下さい。

 そうすることで、プチクリをニートやフリーターという、本当に必要としている人達に届ける仕事のサポーターの役目を果たしてもらいたいのです。

 「表現する」ということは、ものを作ったり語ったり書いたりするだけではありません。
 スポーツを人に見せるのも表現です。教育だって、生徒たちに向けた表現です。
 育児だって、たった一人の観客を相手にした表現です。
 そして、意外かもしれませんが「投票」と「消費」も表現です。

 「投票」は為政者や行政担当者に対して、国民の民意を「表現する」手段です。
 そして「消費」は、「この商品に賛成票を投じる」「この企業に賛成票を投じる」という表現でもあります。
 APPLEだから、SONYだから、という買い方は、企業に賛成票を投じる買い方だと思います。
 安いから、便利だから、以外の買い方があることは、賢明なみなさんなら、既に実感としてご存知かと思います。

 そういう気持ちで、みなさんに「プチクリ」という考え方に一票投じてほしいのです。
 もちろん、ネットで買っても、一票になります。
 ただ、本屋さんで買う一票と、ネットで買う一票で、現在、重さが違うのです。
 本屋さんの一票の方が圧倒的に重い。
 良い、悪いの問題ではありません。
 これは、現在の出版社・取次ぎ・小売り店というシステムが崩れない限り事実なのです
 みなさんの一票を、有効に使ってほしいのです。

 と、ここまでは僕のお願いです。
 ここから先は、作戦案です。

 紀伊国屋書店が通勤・通学圏にある人は、「プチクリ」を紀伊国屋で買っていただけるとありがたいです。予約も受け付けてくれるはずです。
 なぜかというと、紀伊国屋のベストセラーリストは出版界に多大な影響力を持っているからです。

 現実的な話、たぶん初回出荷では小さな本屋さんまでは廻りきらないと思います。その場合はオンライン版の紀伊国屋書店で通販もやってます。
 
 「本が売れる」というのは「波を起こす」ということに似ています。
 最初は小さい波をおこし、それをうまく大きくしていくことが必要です。
 少ない部数の初版の時は、できれば紀伊国屋で買っていただければ、出版社側に「よし、増刷しよう」というリアクションの波を起こすしやすいはずです。
 増刷されれば、小さな地方書店まで在庫が廻り出します。
 紀伊国屋ベストセラーリストに載れれば、ふだん書店に行かない人にも「じゃあ近所の本屋を覗いてみるか」と思ってもらえるでしょう。

 物書きがこういうお願いをするのは、みっともないかもしれません。
 でも、どうせなら自分の本を書くだけでなく、「売り方」も表現に結びつけたいな、と考えたのも本当です。
 みなさんも、「買い方」を表現に結びつけてみてください。

 というわけで、「プチクリの初版は、紀伊国屋書店で買ってくれませんか?」というお願いでした。
 紀伊国屋書店、全国に59店もあるようです。各店舗の在庫確認や店内の棚位置も検索できます。あなどれないなぁ。

 これからは毎日、「はたして売れるだろうか?」というドキドキの日々が始まるわけですよ。ああ、心臓にわるい。

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2005年11月25日 (金)

講義の前日はお腹が痛い

 明日は大阪芸大の講義。文芸科4年生への「文芸特講」の時間だ。
 教職経験のない人には意外かも知れないけど、やはり講義の前は緊張する。慣れたりなんかしない。胃が痛い。
 特に僕の教えている「創作のノウハウ」は教科書がないので、毎回が新しい試み。時には雑談に流れることもあるけど、それだって「クリエイター志望者用の雑談」だ。

 ところがね、これが僕の悪い癖なんだけど、滑稽なほど学生のリアクションが気になるんだよね。ほら、僕はプロじゃなくて「プチ先生」だから(笑)
 「教えること」に関して専門の訓練を積んでないし、自己流で教えてるもんだから、やはり自信がないんだよね~。

 しかし、世の中甘くはない。
 僕がプチあろうがなかろうが、学生から見たら高い授業料払って受けてる講義の講師である。立場だって客員とはいえ教授だ。まさか「いや、毎回講義するのがおっかなくて」とはとても言えない。

 だから、仕方なく準備する。
 1時間半の講義のために、毎回半日がかりで準備して教材や原稿を準備する。
 正直、しんどい。

 いったい、他の先生たちはどうやって毎日、これをこなしてるんだろうか?
 学生の前で話すとか、緊張しないのかな?
 退屈そうな顔されたり私語をされると、それだけで僕は講義を放り出して逃げたくなる。

 いったい、他の先生はどうやってこのプレッシャーに耐えているんだろう?

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2005年11月23日 (水)

プチクリとはなにか?

 まずなにより「プチクリ」の定義を書かなくてはいけないだろう。
 といっても、かなり簡単。もう言葉どおり見たまんま。
 「プチ・クリエイター」の略である。

 この言葉を思いついたのは大阪芸術大学で学生相手に講義してるとき。
 学生たちの関心事は、いつも以下の四点だった。

  • とりあえずプロになりたい
  • 自分には本当に才能があるのか知りたい
  • 早くデビューするにはどうすればいいか
  • プロになったら喰っていけるのか

 うん、気持ちはわかる。でもこういう質問に答えるのはすごく難しい。
 僕の目の前にいるのは約150人以上の学生たち。新設学部なので7倍以上の競争率をくぐりぬけた、かなりのレベルの人たちだ。
 しかし正直な話、この中で数年後にプロのマンガ家やクリエイターになっている人は、最大限楽観的に見積もって3人ぐらいだろう。その3人の中で10年後もプロで活躍してる人は、これまた楽観的に見積もって一人。

 では、残りの147人はどうなるのか?
 「プロになれなかった負け犬」
 「自分に才能がなかった、とあきらめろ」
 そんなふうに挫折感や敗北感を味わうために、この大学に入ったんだろうか?

 違う。
 そんなの、絶対に間違っている。
 プロだけが正解じゃない。
 「プロになること」がクリエイターとしての成功とは限らない。

 どうすれば、伝わるのだろう。

 「プロになるのは難しい。すごい才能がないと無理だ」というのは嘘だ。中途半端な才能でプロになってる人など、いくらでもいる。
「プロになれば勝ち組」というのは嘘だ。プロなんかになってしまったから、苦しい生活を強いられてるプロはびっくりするほど多い。
「自分には才能がない」なんて嘘だ。「あっという間に注文が殺到するほどの才能」はないかもしれない。でもそんな才能、超一流のプロだってめったに持っていない。そんな頂点の人と自分を無理やり比べて劣等感を持っても、なんの意味もない。

 「ものを作りたかったら、表現したかったら、とにかくプロを目指さないとダメ」
 こんな思い込みが、どれだけ多くの人を苦しめてきただろうか?
 
 「プチクリ」は、こんな状況をなんとかするために書いた。
 僕がもつ全てのノウハウや実践的知識を詰め込んだつもりだ。
 「好きなもの」を書き出すだけで自分の才能がわかる「才能マップ」。
 「才能」から「表現力」を引き出す「プチクリマップ」。
 自分をクリエイターに変える劇的瞬間「決意と自覚」の捉え方。
 ずっと「好きなものを好き」でいられるための、「プチクリという生き方」。
 
 テスト版から最終原稿まで、いろんな人に読んでもらった。年齢や職業、立場や性別などさまざまな人たち。
 反応は圧倒的だった。でもなにより嬉しかったのは、こういう感想だ。
 「すごく元気になれた」
 「もう一度、なにか作りたいと思った」
 
 物書きというのは欲深な生き物だ。自分の本が売れるだけで満足する物書きなど一人もいないだろう。
 「読んでくれた人に、なにかしら感銘を与えたい」「どんな小さなことでもいいから、読んだ人の人生が変わるような本が書きたい」
 こんな強欲なことを、考えている人種である。
 
 だから、すごくうれしかった。
 なによりも、たくさんの人に読んで欲しい、と思った。
 「爆笑問題のススメ」に出していただいて、ほんのサワリの部分が紹介されただけで、ネットやブログに反響があふれた。
 
 うん、やっぱり間違ってなかった。
 表現したい魂があって、その出口が見えなくて困っている人がこんなにいる。
 みんな、プチクリになればいいんだ。
 
 誰にだって好きなものはある。
 つまり、誰にだって才能はある。
 特にブログを書いている人。いったいどれだけの才能が自分にあるのかわかっているんだろうか?
 「日記を書いてるだけ」
 とんでもない!
 その「日記を書いて、人に見せられる」というだけのことができない人が大部分なのに!
 そんな人たちから見たら、あなたたちブログ作者は「なんか書いたり出来る才能があっていいなぁ」と思われてるのをわかってるんだろうか?
 
 「好きでやってること」「とりあえず、出来てしまうこと」にもっと誇りを持とう。
 それは大部分の「出来ない人」「やれない人」から見れば、あなたたちに天から与えられた、輝ける「才能」なんだから。

 いま、ネットを見ている人の大部分が「見ているだけ」の人たちだ。
 そういう人たちから見たら「自分の好きなこと」「気になった日常の話」を書いて表現できるあなたたちは、「自分と違う才能のある人」なんだよ。
 でも、そんな「見てるだけ」の人たちの中で、行動を起こす人は必ずあらわれる。誰かのブログを見て「やっぱり自分もやりたい!」と思って、ブログをはじめる人がきっとあらわれる。
 みんなだってそうでしょ?
 有名人のブログじゃなくて、本当に普通の人が書いてるブログ見てうらやましくなって、それではじめたんじゃないの?

 それと同じ。
 みんなが書いているブログを見て、どこかで誰かの生き方が変わる。
 「じゃあ、私も書いてみよう・描いてみよう・表現してみよう」
 ブログが今も増殖中なのは、そんな連鎖があるというなによりの証拠だ。

 僕はさっき書いた。
 「どんな小さなことでもいいから、読んだ人の人生が変わるような本が書きたい」
 ほら、同じでしょ?
 みんながブログ書いて、それでどこかで誰かが影響されてブログはじめて。
 だから、ブログ書いてる人はみんな僕と同じ「物書き」なんだ。
 みんな、「プチクリ」なんだよ。

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「爆笑問題のススメ」のリアクション(3)

 ニート(イノセント)日記より

本当は、表現したいという衝動だけがあるのであって、表現したいものなど、実は何一つないのである

確かに世の中には才能がある人はいるが、殆どの人は才能が無い。
モチロン、才能なんて無かったら無かったでいいのだが、無いにも関わらずアピールされると鬱陶しい。

 「表現したい」という衝動があれば、あとは「好きなものを好きと言う」だけで充分だと思う。現に「ニート(イノセント)日記」は読んで面白いし。「表現したいもの」が無いんじゃなくて、「人に自信を持って見せられるもの」が無いだけじゃないのかなぁ。
 「才能がある人はいるが、殆どの人は才能が無い」には、はっきり反対。
 「すごい才能がある人はいるが、殆どの人はすごい才能が無い」だと思う。

 Pequen~a vibracion de mi sentimiento~フラメンコな生活~の考え方は、とても僕と近い。

夢は夢として諦めない。運がよければそれで成功できるかもしれない。そうしたら、そっち一本に絞ればいい。成功しそうにないなら、生活は他の手段で確保して、好きな事を精進していけばいい。
収入があって安定すれば、夢を諦めないでいられる。成功しないでも、好きな事を続けていられる。

 うん、この考え方こそ、まさにプチクリだ。
 成功、というよりも「収入がそれに一本化したほうが効率よければ」ということだろうね。でも本当は「収入が充分にあっても、専業にしないほうがいい」と僕は思う。詳しくは本の中で書いているけど「専業化しちゃうと、引き返せなくなる」というのが大きな理由。「好きなこと」だからこそ、生涯好きでいたい、と誰しも思うだろう。プロになるのは反対しないけど、専業化はよ~く考えたほうがいい。
 でも、「好きなことで収入がある」というのはうれしいよね。お金の額じゃなく、「好きなことが人から認めてもらえる快感」があるもの。

 ずるり日本トワイライトの旅では、いい意見が聞けた。

あの番組を見たのが10年前なら、「何言ってんだ」と思ったかもしれない。今の私はプチクリ論に全面賛成だ。
10年の間に、私は世界を少しだけ知り、守るべきモノを手に入れたという事だ、と前向きに考える。

 うん、今だから見通せるパースペクティブってあるよね。
 若い頃、純粋な頃は、ちょっとでも弱気な意見をすべて排除しなければ、と思いつめてしまう。
 でも、そんなプレッシャーで頑張りとおせるほど人間は強くない。「根性」や「背水の陣」で100%以上の力を出し続けることができる人なんて、本当に1000人に一人だ。
 120%の力を一瞬出すのではなく、「いつも70%程度の力が出せる訓練」の方が圧倒的に役に立つ。
 「会社を辞めて、人生かけて書いた新人賞応募小説」をたった一本書くのではなく、
 「毎日1時間早く起きて書いて、毎年新人賞に三回以上応募する」ほうがずっと勝率は高い。それを3年続けたら、ずっと上手くなっているのは確実だしね。

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2005年11月22日 (火)

11月30日(水)の「こたえてちょーだい!」

 11月30日(水)の「こたえてちょーだい!」に出演します。
 これが発売直後なら最高なんだけど、贅沢いったらダメだよね。
 新刊発売時期にテレビで告知できるチャンスのある物書きなんてめったにいないんだから、感謝しなきゃね。

 いま、番組側に交渉してるのは、「どこまでの告知が可能か」という部分。
 たぶん番組最後に「ところで岡田さん、新刊があるんですよね?」ぐらいなら大丈夫、と言われている。その先の内容説明とかが可能かどうか、いま先方の返事待ち。
 

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2005年11月21日 (月)

「爆笑問題のススメ」のリアクション(2)

 gojiaiより

ただ、クリエイターというからには、才能あるなしに関係なく、いかにそのモノが好きで努力して、勉強して、世間に出してもある程度耐えうるものを作れなければ。さらにそれを換金出来たらいっちょまえ。

 う~ん、その「クリエイターというからには~ここまで出来たらいっちょまえ」の定義というか敷居が僕とは違うなぁ。「プロのクリエイターというからには」だったら異論はないけど。
 「プロ以外のクリエイターは認めない」という結論に走りがちなので、僕としては「クリエイターとはこうあるべき」論には特に注意したいと思います。

 zdenka*の日記では、ちょっと切ない話。

私は自分で自分の道を狭めて、1人で落ち込んでいたのではないだろうか…。
なんかすごく救われた気がした。
「逃げ」ではなく、自分の好きな事で自分が一番向いている事、自分が一番心地いいポジションを探す事。
これが大切なんだと思う。

逃げてるなんて自分を責めている暇があったら、そんな小さなことに拘っていないで、自分の居心地のいい所を見つけよう。

きっと見つかるはず。

夜は好きな人と会う。
この前行った魚がおいしいお店に行く。
今日もおいしい。

好きな人にちょっとプチクリの話をしたら、私が思った事とは違う答えが返ってきて、ちょっとビックリした。
そして、そういう事が言いたかったんじゃないんだけど…などと思った。

伝えるってやっぱり難しい。
すごく難しい。

 あああ、切ないなぁ。きっとその人にはプチクリの考え方が「逃げ」に聞こえたんじゃないのかなぁ。そんなふうに考えたり、自分を追い込まないと本気じゃない、と考える人って多いからなぁ。
 「好き=わかる、というだけで実は才能なんだ」という考え方は、わかる人には一瞬でわかる。でも「才能とはもっとすごいものだ」「他者を圧倒するものだ」としか考えられない人もいる。
 どっちが正しい、という正解なんかありはしない。単に「どっちが自分の生き方に合っているのか」という好みの問題でしかない。だからせめて、人には「こうでなくてはいけない」と押し付けるのはやめようよ。
 それぐらいのことしか、僕に語れることはありはしないんだよな。

 ミントアイスで語られたのは、ちょっと残酷な真実です。

思いつくとかスキとか興味持てるのは「才能アリ」、
嫌いとか興味ナイのは「才能ナイ」なんだって。
そして、「才能ナイ」ものをいくらやっても、
あんまり伸びないらしい。

 「実は才能がある」という部分だけがかなり広まってますが、実は「プチクリ」はこんな残酷な話も出てきます。つまり「興味がない」とか「何が面白いのかよくわかんない」ものには「才能がない」ということ。
 ここまではっきり「才能がない」と言い切ってしまった才能開発本なんてありえないので、最初はかなり迷ったんですよね。でもやっぱり正直に思い切って書くことにしました。
 そうなんです、誰にでも「かなりの才能がある」のは事実。でも同時に「才能がない」というジャンルもかなりある。「ない」なら「ない」でジタバタして苦しまなくてもいいのに。そう思ったんですよね。やっぱ残酷かなぁ。

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「爆笑問題のススメ」のリアクション(1)

 先月オンエアされた「爆笑問題のススメ;プチクリのススメ」について、いろんな人が語ってくれてますよ。
 まずトメコのgo for サイコロジ→

洋服が好き,だから自分の服を楽しく真剣にコーディネートする。その時点でその人は自分自身の「スタイリスト」。彼氏のスタイリストにも,子どもができたら子どものスタイリストにも,なる。たくさんの人が認めはじめたら,エレクトーンの発表会で,お母様たちの代表として洋服合わせをする係になれるかもしれない。もっとうまくいけば,プロになれるかもしれない。

アクセサリーがすき,だからビーズを買い集めて,色んなアクセサリーを作る。そのうちだれかに「それ素敵!!」って言われるかもしれないし,もしかしたら「材料費払うから作って!!」って言われるかもしれない。

お料理だって,歌だって,こうやって文章を書くことだって,写真を撮ることだって,「プチクリエイト」。才能の始まりなんだ。

トメコはそれを「多重役割」とか,「生活領域の分散」とか心理学っぽく呼ぶけれども,さすが岡田さん,うまい言葉を考えてくれますね~。

 心理学用語は思いつかなかったなぁ。さすが専門家です。
 「プチ・スタイリスト」「プチ・アクセサリー作家」に関してはまさにそのとおり。
 「材料費払うから」とまで言われたら、プチクリとして充分一人前でしょう。

 続いてはprotectionでの発言、

私もお仕事何をされてるんですか?と聞かれると困る事があります。
今は一応、お洋服や帽子を作ったりして生活してる・・・。
でも、これだけで一人で食べていける訳ではないし。

これからはプチクリエーターです。って言おうかな?

 言って下さい!言っていいです!
 すっごく楽しそうにプチクリされている様子が日記からもうかがえます。
 「正しいプチクリ」だなぁ・・・

 サッカーのある幸せでは、ブログ作家についての発言がありました。

本物のクリエイターではなくて、プチ・クリエイターについて、「爆笑問題のススメ」で取り上げてました。何だか、Blogを書いている身にとっては、納得する話のような、痛いところを突かれたような。

 「痛いところ」というのはいい表現ですよねぇ。たしかにブログ書く、という行為は自分でも説明できない、なんだか心の奥底にある「表現したい」「吐き出したい」という欲求に衝かれてやってる気がします。
 たとえば僕がこのブログをはじめた理由だって、同じです。もちろん「新刊の宣伝になればいいな」と思うのは事実ですけど、絶対にそれだけじゃない「なにか」があるんですよ。その「なにか」がない限り、誰もブログなんかやらないと思うなぁ。

 次はメーヂャでの以下の発言が気になりました。

このまえ、別番組に「いつまでたっても芽が出ない妻と子を抱えるお笑いアマチュア」に対して、ダウンタウンの才能を目にしてコンビを解散した、というエピソードを引いて島田紳助が、「これだけやって芽が出ないのは、お笑いは無理。諦めろ」と切り捨てたのとは、対照的。島田紳助の意見は、むしろ社会的な常識を代表しているが、古い常識とも言える。岡田の言うように、「プチクリはアルバイトで生きていく」のだ。世代の違いで、対蹠的な立場が浮き彫りになっている気がする。

 う~ん、僕の中では対称的ではないんですよね。つまり紳助さんが言ってるのは「お笑い芸人としてプロで喰っていくのに足りる表現力がない。だからプロ芸人はあきらめろ」ということだと思います。でも、そう言われた彼らだって「お笑いを好きだ」という気持ちまで捨てさせることはできない。「別の表現方法を見つけたほうがいい」とアドバイスはできるし、「プロになるだけが人生じゃない」ということもできるけど、「気持ちを捨てろ」とは言えないし、言うべきじゃない。
 少なくとも僕はそう考えて「プチクリ」を書きました。きっと紳助さんは過酷なプロ芸人の世界をいっぱい見ているので、あえてきつい言い方で「お笑い芸人で喰っていきたい!」と思ってる後輩の目を覚まそうとしたんだろうなぁ。

 ぐりぐりぐりぐりぐriでは自分の才能マップを書いた上での評価が面白かった。

「分かること」
メール、絵、RPG、建築、本、パソコン、お笑い、ジャズ、邦楽の歌詞、洋酒、野菜、肉、文芸系の実技、面白いこと、疲れないこと

「分からないこと」
会話、旅行、幸福、遊び、勉強、運動、恋愛、洋楽、ドラマ、感動、映画、お金、英語、魅力的になること、米、パン、麺類、魚、日本の酒、実技、歴史、楽しいこと、疲れること

こんなところかな。こうして見ると、面白いことと疲れないことはわかることが多いんだけど、楽しいことと疲れることってのはよくわからないのが全体的に多いな~。他は趣味嗜好で分かれてるかな。
てか分からないことが多すぎるなマジで。苦手とは違うんだよな、あくまでも「分からない」ことなんだけど、分からないって・・・才能がないってことだからなんか・・・会話も遊びも勉強も恋も才能がナイッテコトノカァー!!!!うおぉいいい!!!あぁ、でも実際その通りだしなorz

あぁ、いますごいへこんだ
これから一生それらを楽しめることはないってことジャマイカ('A`)・・・

 え?なんでへこむんだろう?「会話も遊びも勉強も恋も才能がない」ということは「好きじゃない」ということでしょう?だったら「一生それらを楽しめない」ではなくて「一生そんな好きでもないことにわずらわせず嬉しい」ではないの?違うのかな?

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発売日

 「プチクリ」の発売日について、です。

 版元は幻冬舎で定価は1200円。
 発売は12月8日です。

 その他、決まったことがあればここにどんどん書き込みますね。

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配色、どうしよう?

 プチクリの単行本表紙、ホワイトとグリーンのツートンカラーなんですよ。
 できればこのブログも同じような色合いにしたいんだけど、ちょうどいいテンプレートないでしょうか?
 理想は「上1/3が白、下2/3がグリーン」です。
 ココログに詳しい人で知ってる人いたら、教えていただければ幸いです。

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今日からスタート

 今日からブログをはじめました。
 準備も知識もなくはじめたので、ブログのマナーや常識もわからないままです。
 なんか間違ったことやイケナイことしちゃったら、教えてください。

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