遅まきながらM-1感想
「ブラックマヨネーズ」が優勝、というのは納得できる。
納得できるけどスッキリできるわけではなかった。
番組オープニングで審査基準についてはっきり説明があった。
「今日、この場でいちばん面白かった奴が優勝」
シンプルである。というより、審査員制度を採りながら「いまのお笑い」を評価する以上、そのシステムが一番いいと僕も思う。
第一ステージはほぼ予想通り。
南海キャンディーズは、もともとあんなもん。
逆に言えば、去年が出来すぎ。
品川庄司は残念。「きちんとまじめに漫才する」という袋小路に入っちゃったように見えた。あくまで決勝戦でのネタだけに限って言えば、だけど。
漫才の面白さとフリートークの上手さは、逆比例するような気がする。フリートークが上手くなってしまうと、漫才のレベルが落ちる。というより、漫才の持つ「役割を決めた段取りトーク」が気恥ずかしくなってできなくなるんだろう。
品川庄司はフリートーク力が抜群だ。去年まではぎこちなかった南海も、今年仕事が増えたおかげでトークが上手くなってしまった。
おかげで、この二組の漫才には昨夜「わざとらしさ」が感じられるようになってしまった。
かつて松本人志はインタビューで「漫才の極意は、自然に話しているようにしか見えない、というふうにしゃべれるかどうかである」と語っていた。
これが極意かどうか知らないけど、たしかに「ダウンタウン以後」の漫才はすべて、この「自然に見えるかどうか」を目指している。コント形式のお笑いも、演技力がかなりの比重を占めるようになってしまった。
この、言い換えればリアリズム派漫才というのは、当たり前だけど落とし穴がある。
アドリブっぽくしゃべっていても、毎回笑わせるためにはネタが必要だ。ネタがあって、毎回同じ展開で、なおかつアドリブっぽく見えるためにはオリジナリティのある「文体」が必要である。
「文体」とはなにか?
小説の進化を例に話してみよう。
物語の奇想天外さや、勧善懲悪の世界を書くだけなら、あまり文体は問われない。表現技法に工夫するよりも、お話や筋立てで勝負すればいい。
しかし、近代的人格の葛藤を描く、となると文体が重要になってくる。
今までの講談的主人公ではなく、実存的人物を描くとなると、勧善懲悪的面白さは使えない。奇想天外な筋立ても許されない。
あくまで平凡な人物の内面を「非凡な書き方=オリジナリティのある文体」で描写することが要求される。
リアリティ派漫才、というのは「純文学系漫才」だと思う。
いま、お笑いの世界で抜き出ようと思ったら、誰も使っていない『面白さの文法』を作り出して、なおかつ流通させるしかない。
文法、という言葉がわかりにくいなら「視点」でもかまわない。要するに「こういうことって面白いよね?」という面白がり方自身が新しくなければダメなのだ。
有名なレギュラーの「あるある探検隊」にしても、オリエンラルラジオの「武勇伝」にしても、それ単体での面白さよりは「面白がり方の提示」が見事なのである。
「こういう面白がり方もアリ」という文法のプレゼンテーション。それが若手には必須条件になっている。
さて、そういう新しい「お笑いの文法」を自分たちは見つけた。で、その文法をネタに組み込んで、何度も表現していく。徐々に自分たちのキャラクターと、その文法とが親和していく。
すると、なんとフリートークで語っている時でも、そのコンビは面白くなる。「面白いと認知されたキャラ」を演じているからだけではない。「文法」がスタイル化して、自分たちのキャラにぴったり合うようになる。
無理に漫才っぽく、段取りトークしなくても、ごく自然に話しているだけでコンビのトークは「かけあい」になって、聞いていて面白い。
これを小説に当てはめると「文体」ということになる。同じことを書いてるんだけど、この作家が書くと瑞々しい。泣ける。面白い。それが文体の力だ。
同じく、何を話しても「あのコンビ」が話しているから面白い。普通、そういう状態を「キャラが立ってる」とか言うようだけど、ちょっと違う。
「文体が確立してる」から面白いのだ。文体とは「キャラクター化された文法」なのである。
新人のお笑いコンビが進化する流れは、以下のようなものか。
①まずオリジナリティのある「新しいお笑いの文法」を開発する
②ネタを文法に合わせる
③文法により、二人のキャラを決めていく
④ごく自然とトークできる流れ、「文体」の確立
ところが、この「文体」というやつがクセモノだ。キャラクターが強烈で、文法が新しければ新しいほど飽きられるのは早い。南海キャンディーズの苦戦は「しずちゃんのいつものボケ」「山ちゃんのいつものツッコミ」という、「いつもの」部分が消費され、もう文体として認知されてしまったとこだと思う。
認知されてしまう、ということは漫才師にとって致命傷だ。それは「笑う場所」を先に予測され、客はすでに準備して薄笑いしてオチを待つことになってしまう。
結果、お笑いマニアは去ってしまい、単に「しずちゃんのキャラが好き」というファンばかりが増え続ける。
ところが、そういうファン層が多いほうが視聴率的には有利。
有利で楽だから、フリートークや司会の方の仕事が増える。増えれば増えるほど、彼らのファン、つまり「文法の理解者」は増える。「笑い飯の面白さがわかる」とか、そういう理解者が増えるというのは「文法」が理解されるという意味なのだ。
で、話は品川庄司に戻る。
彼らはすでに自分の文体を持っているお笑いタレントだ。ごく自然にしゃべっていれば、ある程度以上はかならず面白い。そんな彼らにとって「漫才する」ということは、実はかなり不自然なことじゃないだろうか?
いや、品川庄司ぐらい地力があれば、まだ漫才の不自然さは技術でカバーできる。難しいのは南海キャンディーズや笑い飯のように、キャラクターや文法だけが先に認知されてしまったコンビだ。
トーク番組等ではキャラを出すことを求められ、どんどん「独自の文体」が確立する。文体ができてしまうと、別に漫才というフォーマットに頼らなくても「面白いこと」が話せてしまう。
売れれば売れるほど、漫才という形式が不自然に感じられる。そういうコンビにとっては「漫才No1を決める」という競技会はあきらかに不利だろう。
リアリティ派出現以前の漫才なら、わざわざ各コンビごとに「文法」など確立しなくても「面白い」と言ってもらえた。漫才という段取りトークのフォーマットの中でネタを繰り返すうちに、徐々に「味」が出て、やがて「味」は「文体」に昇華される。
しかし現在のリアリティ派漫才主流の時代では、「文体」は「キャラ+文法」からしか生まれてこない。これをひっくり返すには、まずリアリティ派という現在の漫才界主流技法を疑い、否定するところからはじめなければいけない。
さてさて、ずいぶん長くなったけど最初の「ブラックマヨネーズ優勝について」に戻る。
ブラックマヨネーズの漫才も、やはり「キャラ+文法」型の漫才だ。南海キャンディーズほどキャラ成分が多くはないけど、笑い飯ほど文法成分が多くもない。
昨日のM-1決勝戦に限って言えば、たしかに「一番面白かったのはブラックマヨネーズだった」と言える。それは僕も異論がない。
でもなぁ、「その日、一番面白いコンビを選ぶ」というだけなら、別に審査員はお笑いのプロである必要ないよね。
ブラックマヨネーズ、本当に優勝させてよかったのかなぁ。
キャラとか文体、消費されるの早いぞ。今までのM-1優勝者はなんだかんだ言って底力というか腰のあるタイプだったけど、ブラックマヨネーズはまだそこまで行ってないぞ。 たぶん。
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コメント
南海キャンディーズが優勝できなかったことを残念に思っているファンです。
興味深く読ませて頂きました。
なるほど「キャラ+文法」ですか。
ところで岡田さんは昨年優勝したアンタッチャブルについてはどう分析されますか?彼らも昨年のM-1優勝前は結構テレビに露出していて、現在の南海キャンディーズのように、キャラクターや文法が先に認知されてしまった印象があったのですが、しっかり優勝していました。
昨年のアンタッチャブルと、今年の南海キャンディーズの違いは何なのでしょうか?
投稿: マクガイヤー | 2005年12月29日 (木) 03時05分
ふむふむ、プチお笑い評論家の岡田さんは昨今の「お笑い芸人短時間消費の現状」をこのように分析なされたのですね。興味深いです。
投稿: 大内明日香@バーバラ | 2005年12月29日 (木) 12時01分
ブラマヨの面白さ知りはらへん人の意見ですね。ケケケ
投稿: カツーン | 2005年12月29日 (木) 18時46分
初めて記入させてもらいます。
M-1はたしかデビューから10年以内ということでしたよね?
ならばM-1は基本的には「新人賞」であり、底力は関係ないと思います。
ブラマヨの面白さはボケ役が「コント55号時代の欽ちゃん」だからかな?
それよりも漫才してない時とのギャップが凄かったです。
おかしいこと言うのが芸人じゃないか・・・
投稿: hare | 2005年12月30日 (金) 00時13分
ブラックマヨネーズのフリートークを聴いて
文章を書いてるなら岡田さんはそういう人なんだと
理解できる。
もし聴いていない、みていないなら
ブラックマヨネーズの今後に関するコメントは
不必要だと思います。
投稿: でびる | 2005年12月30日 (金) 05時35分
(ご承知の上で書かれているのかもしれませんが・・・。)
ブラックマヨネーズはそもそもフリートークの方が面白い芸人で、漫才はいまひとつだった。それが、ここ最近そのトークを活かしたネタに方向転換して開花した。
そんな経緯のあるコンビです。ここ一年、関西のバラエティでは結構引っぱりだこになっていますよ。
投稿: @関西 | 2005年12月30日 (金) 09時43分
納得。。。
私もM1見ながら え~ブラマが優勝???っておもいました。
アンタッチャブルのときもしかり、ますおかのときもしかり。
華もなければ売れそうにもない人たち・・・。
そのときの受け具合で審査するなら大御所たちの審査はいらないんじゃないか?客席にいるひとたちでいいのではないか?
審査員はうわさに聞いていたというが そんなブラマのうわさなどあったか? たぶん驚いて恐縮しているのは他でもない
本人たちではないかと思う。
生まれも育ちも関西で やっぱり新喜劇は面白いし
阪神巨人さんたちの大御所の漫才も面白い。baseの若手も
好き。でもブラマは人気もなかったし 大きく面白くもなく
小杉のヘイヘイ も聞き飽きた。
このお笑いブームに関西の芸人がたくさん全国ネットに出て行っているのを見るのはうれしい。しかし、関西ではいまいちっていう芸人が変に売れるのが東京の不思議さ。いつからか。ナイナイの頃からか。ダウンタウンはもちろん人気の絶頂だった。しかしナイナイはその頃関西ではあまり漫才では売れていなかった。漫才はいまいち、とりあえず人に合わせてフリートークできて笑える人が売れる東京。レイザーラモン・次課長(大好きだけど)・南海・・・・・
なぜ、ジャリズムやロザン、フットボール、はりがね、チュート、ケンコバが売れないのか・・・・おもしろいのに・・・
まあ、ことしのM1をみて baseの芸人がたくさん出てたことだだけがうれしい。ブラマは売れない!間違いない。
投稿: しのぶ | 2005年12月30日 (金) 10時00分
ブラックマヨネーズのフリートークは、品庄の何倍も面白いのですが....。
もしフリートークやロケを見たことがあってこんなことを岡田さんがおっしゃっているとしたら、とても残念です。
投稿: tat | 2005年12月30日 (金) 14時53分
興味深い内容に、ふむふむとうなずきながら読んでしまいました。
自分でもM-1には違和感を感じつつあったので・・・
自分のブログで、失礼ながら紹介させてもらっておりますので、トラックバック、送らせてもらっています。
お笑いを語るのって楽しいですよね。
投稿: キャプテン | 2005年12月31日 (土) 04時02分
おそらく大阪に何度も来られていてもブラマヨとあまり仕事をされてないのではないですか?
肯定派の人はこの一年の成長具合を見たうえで書いていると思います。大阪側から見ると品庄に次ぐフリートクの力を持ってますし、キャラ的にもかなり確立されています。
M-1自体の存在意義としてはメジャーな新人賞と考えるのがいいと思います。吉本以外で売れている芸人は基本的に出ませんし、品庄は出なくていいと言われているのに、どうしても賞が欲しいと本人達が時間を作って参加しているので不利を承知しての事だと思います。
投稿: ヒン | 2006年1月 1日 (日) 10時37分