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2006年11月30日 (木)

僕が落語にこだわる理由(未整理版)

 まずはプライベートな話を整理させて欲しい。
 プライベートな、というのは自分の内面の話だから、あんまり論理的ではない。論理以前の情動や思い出のかけらを、できるだけ正直にかき集めてみる。
 これから落語2.0論を語る前に、「それを語る自分」というのを、まず晒しておくのが当然、と考えるからだ。

 大学で教える以前、人前で話すのが苦手だった。
 
 もちろん打合せや会議程度なら平気だけど、たまに舞い込む講演の仕事は引き受けても失敗ばかり。「やらなきゃよかった」と毎回、泣きそうになりながら逃げ帰った。これ、たとえ話ではなくて本当の話。
 そんな自分が今、プチとはいえ「落語家」を名乗っているのは不思議な気がする。
 
 小学校のときに鳥羽へ修学旅行に行ったとき、友達と割り勘で占い師に運命を見てもらった。「あんたは落語家や」と老婆は言った。僕は信じなかった。ついこの間まで忘れていたぐらいに。
 20代に新宿で、30代に吉祥寺で前世を見てもらったときも「江戸時代の噺家」と言われた。「過去か未来か、どっちやねん」と笑って忘れていた。
 
 落語は好きだ。僕が中学生の頃、米朝が「地獄八景」を復活させ、大学生のときにSFファンの間で枝雀ブームがあった。僕は当時自分がやっていたSFイベントに枝雀を呼び、1500人の前でSRをやってもらった。
 「こんなリアクションのいい客筋ははじめてだ」と感動してもらい、僕は落語とSFの橋渡しが手伝えたかと内心うれしかった。
 
 はじめて「と学会」の例会に参加したとき、「これは落語ではない落語会だ」と直感した。会員たちの発表はトークも冴えて内容も面白く、色あせていた当時の落語に比べて「新しい面白さ」にあふれていた。
 でも、どんなに面白くても、と学会の会員が話すことは落語ではない。
 そのうち「トンデモ落語」という新規ジャンルができたけど、あえて定義するなら「落語の中の過激派の面白さ」であって、と学会の持つ「新しい面白さ」とはやはり違う。
 
 いつしか僕は大学の先生になって、毎週学生に話をする立場になっていた。
 
 東京大学の教養学部。
 立教大学の社会学部。
 そして大阪芸術大学。
 
 それぞれの大学ごとに話し方や内容や考え方まで切り替えて、僕は話をした。いつしか「人前で話す苦手」はなくなっていき、飛び込みの講演でも30分程度なら場を持たせることができるようになった。
 
 今年の5月と7月。新宿ロフトプラスワンで「オタク・イズ・デッド」と「世界征服入門」というワンマントークをしたときに、僕は「準備は終わったな」と感じた。
 8月に入る頃、僕はすでに「落語家になろう」という決意を終えていた。
 
 話が繋がらない?
 だから内面の話だから、これぐらいしかないんだ。すまん。
 「いつかやらなきゃ」というのと、「今のままじゃダメじゃないか?」という危機感。
 それぐらいしか自分ではわかんないや。
 

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