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2006年12月30日 (土)

第2回・落語2.0お勉強会のお知らせ

「落語2.0お勉強会」のお知らせです。
 今回のテーマは「美女と水爆怪獣」!
 極上のシモネタと、プロ真打のマニアック噺と、怪獣に人生を狂わされた男たちが「面白いお噺」をお届けします。
 
●日時:2007年1月21日 (日)
   16時開場
   17時開演

●会場:J-POPカフェ渋谷 ”GARDEN”
渋谷区宇田川町31-2渋谷ビーム7階
http://www.j-popcafe.com

●出演と演目
 前説:岡田斗司夫
 怪獣亭パチ助(かいじゅうてい・ぱちすけas喜井竜児)のパチモン怪獣落語
 瀧川 鯉朝(たきがわ・りちょう 真打)の怪獣落語
 前立亭茎丸(ぜんりつてい・くきまるas田中圭一)のPowerPointプレゼン落語
 吉祥亭満月(きっしょうてい・まんげつas岡田斗司夫)の フリートーク落語
 
●値段:予約2000円、当日2500円
 全席フリー席
 ご予約はJ-POPカフェ渋谷(03-5456-5767)まで。

予約方法A:メールか電話で予約して、当日お金を払う。
 ①micazuki@gmail.comまで「名前、電話番号、枚数」をメールください。確認メールを送ります。
 ②会場のJ-POP CAFE(03-5456-5767)にて電話予約を受け付けています。受付開始は1月4日ですのでご注意ください。

予約方法B:直接、前売り券を買う。
 ①海洋堂ホビーロビー東京(秋葉原・ラジオ会館4F、TEL03-3253-1951)で前売り券を購入できます。
 ②31日のコミケに来られる方は、東2ホール・S-01a「ロケット野郎」ブースにて前売り券を購入できます。
 
 
●口上
「落語2.0とかけて、メイド喫茶ととく」
ほら、メイド喫茶のメイドさんが「本当のメイドか?」なんて気にしないでしょ?自宅で「ざけんなババァ!」と怒鳴るアバズレ娘でも、メイド服着てカフェで「お帰りなさ~い、ご主人様」とニッコリ微笑んでくれたら、僕たちだって「うわ~メイドさんだ、萌え~!」とかあわせるじゃないですか。そういうバーチャルな遊びを江戸人たちは「粋」と呼んだわけです。
こういう言い方はナンですけど、2.0世代の落語家たちは、既存の「伝統芸能」とか「落語になってるかどうか」なんて気にしちゃいません。
ただ単に和服着て座布団で座って話すだけ。そういう意味では落語家のコスプレ、「メイド喫茶」なんです。でも、コスプレという「粋な遊び」だからこそ、噺は面白く、舞台着は本格的に。
落語2.0宣言の全文は http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/12/20_954e.html で読めます。ご意見・討論など、いつでもどうぞ!・・・というか、ソレを舞台で和服で語って、あなたも2.0落語しませんか?

 
 
●出演者プロフィール

怪獣亭パチ助(かいじゅうてい・ぱちすけ)
その正体は喜井竜児にして、2.0落語では「名古屋の地底怪獣」。
「正義のためならどんなに悪いことでも平気でやっちゃうヒーロー・アーマージャック」というインディーズ特撮映画を撮り続け、関連商品まで作り続ける御苦労人です。でも本職は某地方局のディレクターなので、映像センスだけは意味なく超プロなんですよね。いっけん、すっごく「いい人」ふうの見た目だけど、自らのサイトで「さぁみんなもアーマージャックを応援しよう!応援しないとアーマージャックにひどい目に遭わされるぞ」と脅す腹黒い(略)
出囃子は未定。

瀧川 鯉朝(たきがわ・りちょう)
落語芸術協会の真打にして、2.0落語では「古典落語界の裏切り者」。
5代目春風亭柳昇、瀧川鯉昇の弟子。小柄な体格と不審な挙動から、兄弟子である春風亭昇太によって「昆虫くん」という愛称をつけられたそうです。実は古典も新作もこなすかなりの実力派・・・のクセに、と学会や落語2.0などの不穏分子とも付き合いがあるため将来の見込みはあま(略)
出囃子は『酋長の娘(私のラバさん)』。

 
前立亭茎丸(ぜんりつてい・くきまる)
その正体はマンガ家の田中圭一にして、2.0落語では「夜のお菓子」。
手塚治虫や本宮ひろ志の画風完全コピーという禁断の荒業でビジネスジャンプでも人気爆発の現役マンガ家です。代表作は「神罰」「ヤング田中K一」「ドクター秩父山」「鬼堂龍太郎・その生き様」
もうひとつの本職・ソフト開発会社の営業という現場で培ったPowerPointプレゼンを落語にしました。でもなにより好きなのは限りなくお下劣シモネタで、その柔和な笑顔からは信じられないような話が炸裂!聞いてるだけで妊(略)
出囃子は未定。

吉祥亭満月(きっしょうてい・まんげつ)
その正体は評論家の岡田斗司夫にして、2.0落語では「頼りない主力兵器」。
「オタキング」の名で知られ、NHKのBSマンガ夜話・アニメ夜話やGyaOの生番組「午後ギャオ」ではスイカップ古瀬絵理・ルーガちゃん小出由華と共に司会を担当しています。
大学教授というもうひとつの本職から繰り出される得意技は「ウンチク落語」とか「フリートーク落語」。「まるで落語みたいに面白い大学講義」と「まるで大学講義みたいに興味深い落語」の融合を目指します。・・・って、それってつまり「帯に短しタス(略)
出囃子は『古畑任三郎(三味線・尺八バージョン)』。

●落語2.0お勉強会の特徴とは?
 今までの落語会ってわりと「外見より中身で勝負!」という感じだったけど、2.0落語は軽佻浮薄だいすき!
 当日のパンフレットだって「見て可愛く、読んで面白い」ものを目指して凝りに凝っちゃいます。
 2006年12月の第一回では、お客様に特製手作りクッキーをおみやげにプレゼントしました。
 今回も前回以上のパンフレットやおみやげで皆さんをお待ちしています!
 
●問い合わせ
 J-POPカフェ渋谷(03-5456-5767)

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2006年12月26日 (火)

12月31日について

 今回のコミケは31日(日)の東2ホール。Sブロック-1a「ロケット野郎」と2a「マンガ・アニメ夜話記憶館」の二箇所です。
 オンラインで申し込んだら合体サークルにできなかったので、間にバーバラ・アスカさんの出版評論社を挟んだかたちになりました。
 新刊は手ぬぐい本を入れて三種類。どれもかなり濃いですよ。
 
 
●新刊その1
月刊 岡田斗司夫・第三号
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 「岡田斗司夫の落語家宣言:吉祥亭満月デビュー!」
 「爆笑対談:田中圭一(お下劣漫画家)「大河オ○ニーを語ろう!」
 「岡田教授の講義録:プチクリないしょ話」
 「連載:mixi日記」



●新刊その2
マンガ夜話記憶全集・第一巻

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 「楽屋裏話 第1夜「童夢」から第8夜「花男」まで」
 「マンガ夜話レギュラーがいしかわじゅんマンガを斬る! 再録『もっとマンガを語りたい!』」
 「 レギュラーのファッションもチェックできる。第1夜~第8夜の写真集」

 

●新刊その3
吉祥亭満月オリジナル手ぬぐい「宇宙探検」

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 全12ページの内容紹介:「月世界までひとっとび」「あこがれの宇宙パイロット」「きけんだにげろ流星雨」「一億年前の宇宙人の遺跡」「6年の遠足は宇宙島」「絶対見たいなハレーすいせい」「アームストロング船長の月面第一歩」「人工えい星スプートニク」「速いぞ宇宙モノレール」「あやうく脱出恐竜の惑星」「ひかりの速さだ光子エンジン」「僕のアイデア 犬の宇宙服」

 
●既刊
 「月刊岡田斗司夫・創刊号」
 「月刊岡田斗司夫・第二号」
 「プチクリ風雲録」
 「オタクの歩き方・国内編」
 「オタクの歩き方・海外編」
 「未来玩具2002」
 「オタキング・ダイアリー」
 

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2006年12月20日 (水)

落語2.0勉強会、すごかったよ!

 疲れたけど面白かった~!!
 客席にはお忍びで古瀬絵理さんも来てくれたし、中京TVの怪獣ディレクター・喜井さんや変態マンガ家の田中圭一さんも「2.0落語家候補」として視察に来ていただけました。
 前説は唐沢俊一さんだし、本当に豪華な会だったな~。
 来てくれた人、ありがとうございました! 

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2006年12月18日 (月)

下腹がへこまない

 ダイエットは順調なのに、下腹だけが頑固にへこまない。
 ダイエット開始より今日で107日目。体重は107キロ→87.4キロと20キロ近く減り、体脂肪だって39.5%→30.7%と9%近く、脂肪でも15キロ以上減っている。我ながら、この成果はかなり自慢だ。
 
 と、ゴキゲンで昨日の深夜、近所のジーンズメイトに行ってみた。こんなに痩せちゃった俺様なら、ひょっとしてあそこで売ってる安物ジーンズとかも履けるようになったんじゃない?
 普段、ジーンズのことを「労務者の下穿き」と呼んで忌み嫌ってる僕である。「近場にあったやっすい染料で染めたから紺色」みたいな下賎なズボンなど買ったりはしないけど、でもでも試してみるぐらい、いーんじゃないの?
 るんるんっ。
 
 ・・・ ・・・
 ・・・ところが、履けない。
 チャックが閉まらない。
 そもそも、太ももに入らない!
 107キロの時には120センチあった胴回りが、今は102センチにまで落ちている。でも、ジーンズメイトにはそんなでぶ用のジーンズなど置いていないのだ。
 
 甘かった。僕が甘かった。
 体重が、体脂肪がどんなに落ちようと、僕の下半身とくに下腹部だけは以前と変わらずポッコリなのだ。重度のオタクおじさんにしかわからないたとえで申し訳ないけど、クレクレタコラ登場怪獣の体型なのだ。
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 しかたなく、西友のでぶ用品売り場で黒のスラックスを探した。ここにはもちろん、105センチだって110センチだってある。でも、僕が選んだのは胴回り97センチのやつだ。
 なんとかチャックはあがるけど、なにも入ってないポケットは開ききってる。100センチでも無理っぽいのに97センチなどムチャだ。
 
 でも、意地で裾あげしてもらった。
 いちおう、僕の皮算用では1月10日あたりには体重も84キロ台に落ち、このスラックスが無理なく入ることになる予定だ。
 それまで、机の前のいちばん目立つところに97センチのスラックスは吊るしておくことにしよう。
 
 ・・・と決心した後で気がついた。
 正月の餅は?
 クリスマスケーキなどと腑抜けた毛唐の習慣などどうでもいいけど、餅は大事だよ!
 餅コミで一日1500kcal?
 無理かもねぇ。

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2006年12月17日 (日)

パンフがかっこいい!

 いよいよあさってに迫った「吉祥亭満月の落語2.0勉強会」。
 さっき当日パンフの見本が届いた。
 いや~、すっごくカッコいい!
 A4両面刷りを折っただけの、わずか4ページのパンフなんだけどね、見たら絶対に欲しくなりますよ。へへへ。

 あさって当日は、このパンフにワンドリンク、おまけに「月にロケット」の紋入りビスケットまでついて、おまけに2.0落語が三席あって1500円。
 もうやりすぎサービス大暴走で、すでにお客様で満員になろうと赤字間違いなしのイベントになっちまったよ!
 いまちょっと言えない綺麗どころも客席にいらっしゃるかも。
 
*************************CMです*****************************
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●日時:2006年12月19日 (火)
 18時開場  19時開演
●会場:J-POPカフェ渋谷 ”GARDEN”
●出演:吉祥亭満月(ゲスト・岡田斗司夫)
●値段:1500円 ワンドリンク付き
●全席フリー・予約なし
 お問い合わせはJ-POPカフェ渋谷(03-5456-5767)まで。
※カフェは17時~24時までオープンしておりますので、開演前・終演後にゴハンも食べられます。 満月も終演後はお茶など飲む予定なので、お付き合いくださればありがたいです。
*************************CM終わり*****************************

 ネタは、いまんとこ「ガンダム以外は大丈夫」というところ。ガンダムを全然知らない人でも楽しめる、が理想なんだけどね。あと30時間ぐらい悩んでみま~す。
 

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2006年12月12日 (火)

クリスマスに欲しいもの

 クリスマスにいちばん欲しいのは、もちろんフレッチャー社の「変形するテーブル」を置くための大型ヨットだ。

 いや、ヨットがなくても、このテーブルを置くスペースさえあればどこでもいいのかもしれない。でも「甲板においても風雨に耐えるマホガニーで仕上げました」とか言われたら、そりゃヨットも買うしかないでしょう。
 
 米国アリゾナに本社のあるフレッチャー社が開発したキャプスタン・テーブル、巻き上げ円卓とでも訳せばいいのかな?キャプスタンとは船の碇の巻き上げ装置のこと。
 ここに変形中の動画があるんだけど、もううっとりすること間違いなし。ぜひごらんください。
 
 大きくなる前に周囲の円環部が下がるとこなんか、もう美しすぎて・・・
 変形機構は、この3枚目の写真に写っている。
 
 ちなみにこのテーブルを設置するのにふさわしいヨットのサイズは180フィート級。たぶん10億円ぐらいあれば買えるんじゃないかな?

 追記:
 変形前も後も、表面はツルツル。すごいなぁ。

 

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2006年12月10日 (日)

早起きは三文の得?

 昨日の朝の話。大阪のホテルで、なぜか午前5時に目が覚めたので、そのまままっすぐ吉祥寺に帰ってきた。
 で、近所のコンビニに寄ったら、なんとWiiを売っていた。
 「なぜか本部から一台だけ送ってきたんですよ」という。
 「え、じゃあ買う買う!・・・ところでクレジットカード、使える?」
 「すいません、現金だけなんです」
 気配に振り返ると、僕の後ろには目を輝かせた兄ちゃんたちが。みんなWiiを狙っている!
 急いで財布を開くと、なんと1万円札が三枚、入っていた。
 「ありました!買います!」

 その瞬間、後ろから聞こえてきたよ。今まで聞いたこともないようなはっきりした声で「ちぇっ」って(笑)
 あ~、ドキドキした~。

 ひょっとしたら昨日あたりから市場に出回っていたのかもしれないけど、なんか「近所のコンビニで買う」というのが面白いから買っちゃった。
 でも、たぶんコミケ終わるまで開封できないような気が・・・
 
 調子に乗ってアマゾンで「Wiiスポーツ」とか「ワリオ」とか「SDガンダム」とか「ゼルダ」とか「はじめてのWiiパック」とか買っちゃったよ。
 どうせ正月まで遊べないんだから、通販でいいや。ヤケクソ!! 

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2006年12月 7日 (木)

ココログのメンテ終了

 更新しようと思ったら、50時間以上もメンテナンスでなにもできなかった。いや、まいった。

 体重計と同じく、歩数計もタニタのを買った。
 理由は、赤とシルバーがばっちり携帯と同じ色味だったから。
 写真ではグレーっぽく見える部分が完璧なクロームシルバーで、赤もメタリック仕上げ。
 いや~、携帯とストラップと歩数計、完全に色が合っててうれしいなぁ。

 と喜んでばかりはいられない。人生万事塞翁が馬、 いい勢いで落ち続けていた体重が、ぴたりと止まったよ。
 いや、止まったどころが微妙に増減を繰り返してる。
 
1週間前・・・91.0キロ
6日前 ・・・89.8キロ
5日前 ・・・89.9キロ
4日前 ・・・91.5キロ
3日前 ・・・90.5キロ
2日前 ・・・90.2キロ
きのう ・・89.9キロ

 思い当たるのは先週の金曜夜、ちょっと重たい目のものを食べてしまったからだと思う。大阪に泊まる日と、翌土曜日のGyaOスタジオではかなり気をつけて節制しないとね。
 昨日は朝ごはんに800kcalぐらい食べてしまったので、夜は300kcalに押さえて一日トータルで1300kcal。
 さて、今日はなにを食べようか。伊勢丹の自然食バイキングにまた行こうかなぁ。
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2006年12月 3日 (日)

落語についてアレコレ考える

11月17日の日記の続き
 
 唐沢さんの言う「枷から解放されて」という部分、僕はずっとこう考えてきた。
 
 落語の持っている枷、それは僕にいわせれば、たとえば「バカバカしい話」「寓話」という逃げだ。
 別にバカバカしいだけである必要はない。落語は丁稚の社会勉強にも使われた歴史だってある。ウソくさい月曜9時のドラマだって「最新のファッションや風俗」を学ぶ場所になり得る。
 たとえ落語であっても、「へぇ~」「勉強になったなぁ」というトリビアや豆知識を仕入れて面白がる、そういう「面白さ」があってもいいのではないか?
 
 徒弟制度という枷。たしかに徒弟制度でしか守れない文化も有る。しかし、メリットだけの制度があるはずもない。
 いままで落語は徒弟制度のメリットこそ語りつくされてきたけど、そのデメリットはすくなくとも公けには議論されていない。
 書店や古書店をまわり、読めるだけの落語論や書籍を見たが、「消極的には疑問がない事もない」以上の表現には出会った事がない。まるで徒弟制度の是非を論じること事態がタブーのように、だ。
 「いや、落語にも天狗連というアマチュア参加システムがある」という反論もあるだろう。しかし「面白いアマチュア」と「面白くないプロ」という存在をどう説明するのか。「天狗連」という線引きそのものが無意味な区別の証明ではないのか。
 落語家には二つある。「面白い落語家」と「面白くない落語家」だ。そして、それぞれにプロもいればアマチュアもいる。それだけの分類で充分ではないのか。

 落語家、という枠。いったい落語家とピン芸人はどこが違うというのか?
 落語家がフリートークをやっても、ピン芸人とは呼ばれない。ピン芸人が落語をやっても落語家にはなれない。
 ピン芸人やお笑いタレントには誰でもなれるけど、落語家は許認可制だ。
 おそらく、落語というのは芸の種別や職種ではなく、制度そのものの形なのだ。

 落語ファン、という枷。かつて桂米朝は名著「私と落語」の中でこう語っている。
 「落語は古典芸能化しつつある。しかし演者の立場としてはできるだけ大衆芸能でありつづけたい」
 「大衆芸能の定義とは『舞台の演者と客席のファッションが同じ』である、ということだ。かつて和服に手ぬぐい、扇子というのは大衆のファッションそのものだった。その時代、落語は大衆芸能だった」
 「現代でもフォークミュージックのコンサートに行けば、演者はTシャツにジーンズで、そのまま壇上を降りて観客と入れ替わってもなんの違和感もない。それが大衆芸能だ」
 「落語家が背広にライターと万年筆をもって立ったまましゃべってもちゃんと落語は出来る。しかし、それをお客様が『落語だ』と認めてくれない。落語は古典芸能であってほしい、と要求する声もたしかにあるからだ」
 いまから30年以上前、すでに米朝はこのように悩んでいた。なによりも落語ファン自体が、落語が大衆芸能になることを望んでいない、という厳しい現実に直面していた。
 誤解してほしくないけど、僕は「古典芸能としての落語」を否定しているわけではない。「大衆芸能とはどういうことか?」を考えつづけチャレンジする現代の落語家に拒否反応しかしめさない「1.0世代の落語ファン」を批判しているのである。

 ああ、いかん。この調子で何時間でも語れてしまう。
 まだ未完成の考え方なので、今日はこの辺で終わる。
 いま、僕が考えているのは、以上のような「新しい落語と落語家の定義」だ。
 僕はそれを「落語2.0」と呼んでいる。
 2.0世代の落語とは、米朝が抜け出そうとした「和服と座布団」を逆に採り入れて、逆にそれだけをレギュレーションとした、新しい話芸の形だ。
 和服を着て座布団に座りさえずれば、あとは面白い話をするだけでいい。
 面白さの定義は演者と観客の関係性だけでかまわない。
 それが「落語2.0」だ。
 
 ・・・とまぁ、「岡田斗司夫として落語2.0を語る」のは、ずいぶんこなれてきた。
 問題は「吉祥亭満月」くんですよ。コイツがちゃんと2.0落語をできないとシャレにならない。岡田斗司夫が「勉強会、大丈夫?ちゃんとネタは用意してるの?」と聞いても「う~ん、たぶんなんとか・・・」と答えるだけ。どっちかというと理屈っぽい岡田斗司夫に比べて、吉祥亭満月は僕の内部の「直感的で気分屋でいい加減」な部分でできあがってるので、かなり不安だなぁ。

(追記)
落語2.0に関してエールをいただいたので、リンクします。

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2006年12月 1日 (金)

落語2.0宣言

注: ものすごく長いです!携帯で読む人は注意!
   あと、昨日の日記の続きなので、できれば「僕が落語にこだわる理由(未整理版)」を先に読んでいただけるとありがたいです。

 勉強会も近くなってきたので、また最近落語のことばかり考えている。
 
 まずデビュー戦の分析から見えてきた事。
 客席の反応はまぁまぁ、というより新人の初舞台にしてはやけにウケていた。しかしそれとは別に、アンケートや感想のメールで、人数こそ少ないながらかなり否定的な意見をもった人もいたことがわかった。
 僕が不思議だったことは「ウケたのに、否定された」こと。
 完全にスベったのなら理解できる。
 「マイナーとはいえテレビにでも出てるような、まぁちょいと有名人さんが落語に挑戦ですか。おやおや、全然面白くないですね」
 こういう評価なら、僕にとって哀しいだろうけど納得できないことはない。
 
 しかし、僕の高座を否定した人たちは、きまって同じ言葉を投げつけた。
 「あれは落語ではない」
 「なまじ面白いから腹が立った」
 「面白くなければ許せるけど、なんだか落語をバカにされた気がする」
 「落語をちゃんと勉強して出直せ」
 
 面白いけど、落語じゃない?
 ふぅむ、興味深い。
 おそらく彼らにとって落語というのは「落語であるかどうか」が「面白いこと」よりも重要みたいだ。そしてなんと「勉強する」対象のようだ。
 こういう思考法のことを「教条主義」と言う。現代の落語ファンというのは、かつての粋人というよりも、かなり優等生的というか真面目な人が多いんだなぁ、と思った。
 
 また、このようなことを言った人もいた。
 「前座には、面白くなくてもいいから、ちゃんと落語協会とかに属してる人を出してください」
 「イケメンの二つ目さんとかが見たかった」
 「せっかく渋谷に来たんだから、オタクなんか見たくない」
 
 三つ目の意見には、不覚にも笑ってしまった。いや、イケメンでないオタク野郎で申し訳ない。
 ここでもやはり「面白さ」よりも他の要素が優先されている。
 「ちゃんと落語協会とか(おそらく芸術協会とか立川一門とかのこと)に属している」「イケメン」「オシャレなものを見にきているはず、という幻想」
 以上の三要素のほうが、「面白さ」より大事!と言いたいらしい。
 
 次に、肯定でも否定でもない人の意見。
 「もっと落語っぽく話せばいいのに」
 「ちゃんと上下をつけて演技して、落語にすればいいのに、と思いました」
 「落語と名乗らなければ楽しめたかも」
 
 これらの人に共通しているのは、「落語とはこういうものだ」という定義がはっきりしていること。そして「その範囲内なら認められるけど」と考えているらしいこと。
 たぶんこういう人たちは「これは落語」「これは漫談」「これは講談」とはっきり区分けして考えているんだろう。その中間やまったく別の座標軸の作品を見せられても混乱するだけなのかもしれない。
 困ったなぁ。
 粋人であるはずの落語ファンは、どこにいってしまったんだろう?
 こういうことを考えるのが僕にとって「落語を勉強する」ということなんだけど、たぶんそれは彼らの言う「もっと落語を勉強しろ」という意味とは、かなりかけ離れているんだろうね。
 
 僕の当惑を説明するために、別ジャンルの大衆演芸を例に話を進めよう。
 たとえばマンガ。
 マンガだって初期の頃は「これはマンガじゃない」という区分けや教条主義が横行していた。誰あろう手塚治虫自身が「あんなのマンガじゃない。社会風刺もないし、ヒトコマで世情を切り取っていない」とヒトコマ漫画家たちから厳しく批判された。
 
 しかし、現在のマンガの興隆はそういう古臭い偏見を乗り越えたからだ。
 もし今、マンガ雑誌に「いまの主流マンガとは違う技法」のマンガが掲載されたとする。
 それが面白くさえあれば、誰も「これはマンガではない」とは言わない。「へぇ、こんなマンガもアリなのか」と感心するだけだ。「マンガ雑誌を買ったのに、こんなのはマンガではない。たしかに面白いけど」と怒る人など想像もできない。
 そして、これこそがマンガが大衆芸能として優れている部分なのだ。
 
 夏目房之介氏はマンガ夜話の中で何度も「日本のマンガが優れている理由は、優秀な読者の育成に成功したから」と繰り返し語っている。「これはマンガじゃないからダメだ」と否定しない知的でバランスの取れた客層がきわめて大量に存在する。そういう受け手を信頼できるからこそ、送り手側も新しいチャレンジが次々とできる。
 面白ければ、なんでもやっていい。面白い、という最低ラインさえ保障すれば、どんなものでも受け入れてもらえる。
 
 その「面白さ」も一様である必要はない。
 かつての漫画=滑稽な読み物という偏見から自由になった近代マンガは、ありとあらゆる「面白さ」を開拓した。
 「人情」「ウンチク」「料理レシピ」「格闘」「動物観察」「ワイン」「オシャレ」「推理」「歴史」・・・
 マンガの「面白さ」というのは「読んで笑える」だけではない。「興味深い」「知的だ」「反社会的でゾクゾクする」「イヤな気持ちになるけど、なぜか目が離せない」「設定や人物関係が複雑だ」
 とてもこんな言葉だけでは語りつくせないのが「マンガの面白さ」の世界だ。
 「これはマンガじゃない」と否定せず、ただひたすら「面白さ」の可能性を拡げ続けて、マンガは世界的なコンテンツへと成長した。
 
 今の真面目な落語ファンが考えている「よい落語ファン像」というのは、間違っていると思う。
 落語をちゃんと勉強してるとか。
 いろんな落語界にこまめに通ってるとか。
 落語家さんの本やCDをちゃんと買ってるとか。
 前座や二つ目の頃から、見守って応援してるとか。
 
 そんなことは、どうでもいいんじゃないかな。
 面白い噺は「面白い」。つまらない噺は「つまらない」。
 それだけで、評価すればいいのに。
 
 面白くないけど、名跡だから応援する。
 伝統ある寄席で「気分だけ満喫」する。
 寄席に行くことが落語を勉強することだと信じる。
 落語家を「上手い」とか「芸がある」と評価する。
 そういう行為に疑問を持たないから、落語も落語家もダメになり続けていることに気づいていない。
 マンガを「上手い」とか「才能がある」なんて評価するのは評論家だけだ。読者の役割は「面白い!」と言うこと。面白ければ応援して、面白くなくなった瞬間にそっぽを向くこと。それだけが表現者を向上させるんだから。
 
 古典落語は人情があって、新作落語は爆笑できる。
 そんな区分けが落語を狭く息苦しくしている。
 「面白く」さえありさえすれば、人情も爆笑もべつに必要ではない。
 知識が増える喜びだって、知らない外国の情報だって、芸能人のゴシップだって、それが「面白く」さえ感じられればそれでいいじゃないか。
 
 え、そんなのは落語じゃない?そういうのがしたければ漫談でやれ?
 「落語」と名乗るな?
 とんでもない。
 落語とはそもそも「噺」という。
 「噺」という漢字は口偏に新しい、と書く。
 新しいことを語るのが「噺」だ。新しい面白さを語るのが「噺家」だ。
 世阿弥は『風姿花伝』で芸能の本質を花にたとえて「おもしろきこと」「めづらしきこと」と喝破している。
 今までになくて、新しくて、面白い。
 古来より、大衆芸能の本質とはこれなのだ。
 
 優等生的な落語ファンは、「いい落語家」の定義をこう考えている。
●「ちゃんと落語を勉強していること」
●「歴史ある一門に属して、それなりの派閥・協会に入っていること」
●「江戸文化などの伝統芸を継承していること」
●「とにかく笑えること」
 
 以上の定義の落語を、僕は「1.0世代の落語」と呼ぶ。
 僕が目指しているのは「落語2.0」だ。
 2.0世代の落語および落語家は、上の定義から自由である。
 
○今までの落語を勉強する必要はない。もしオリジナルのネタがないとか自信がない場合は古典をやってもかまわないけど。
○既存の落語家集団に属さなくてもかまわない。徒弟制度はもちろんメリットも多いけどデメリットだってある。2.0落語では、そのメリット面をさほど重視していない。
○伝統芸は気にしなくていい。それより「面白い」を優先する。面白くない奴は、せめて芸でも磨いたほうがいいだろう。
○笑える必要すらない。「面白さ」とは「笑い」だけではないから。「新作落語は笑える」という縛りがいかに若手落語家の手を縮ませているか。落語2.0はあの落し穴に落ちてはならない。

 たったひとつ、2.0落語の守るべきルールは「和服で座布団に座って話す」ということだけ。これだけで「2.0落語」になる。
 その意味で2.0落語家は本当の落語家である必要すらない。
 メイド喫茶とおんなじだ。
 
 メイド喫茶のメイドさんを「本当のメイドじゃない」と怒る人はいない。
 家に帰ったら親に「ざけんな!」とか怒鳴っている悪い子でも、メイド服着てにっこり「ご主人様」と微笑めば、我々は「あ、メイドさんだ。萌え~」と認めてあげる。
 そこで問われるのは氏素性ではなく、彼女のキャラであるとか魅力であるとか、「メイド喫茶内での魅力」に限られる。
 こういう遊び方を古来、「粋」っていうんだよね。本当は。
 
 メイド喫茶のメイドさんは「メイド服が似合う」とか、そういう魅力だけで評価される。
 メイドの歴史とか背景とか言い出すのは、無粋な評論家に任せればいい。
 2.0落語も、落語家は「落語家のコスプレ」でかまわないし、落語は面白ければそれでかまわない。
 でもコスプレだからこそ、メイド喫茶だからこそ、ちゃんとマジメにメイド服は着なくちゃいけない。そこを外すと「粋」ではなくなる。それは単に「無粋」って呼ばれる。
 
 和服を着て、座布団に座って、あとは「面白い噺」をするだけ。
 自分だけにしか話せない話。新しくて珍しくて面白い話。
 みんなが聞いたことがないような話。
 それが「落語2.0」だ。
 
 なので今後、また真面目な落語ファンから怒られたら「すいません、僕、2.0ですから」と謝ることにしよう。
 目指すべきは、いまのマンガファンのような客層。
 マンガを読むときのように、面白さを偏見なく認めてくれるような人たち。
 「ちゃんとした落語家じゃないから」「オタクだから」「落語になってないから」と僕を差別しない人たち。
 そういう、マンガ夜話を面白がってくれるようなお客さんがきてくれたら、うれしいなぁ。
 

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