太る理由は、「太る行動」である
自分が太っていた頃を思い出してみた。
・・・と書き出すと、まるでいま太ってないみたいに聞こえるけど、まだウエストは88センチあるし、BMI(ボディ・マス・インデックス)指標は26。立派な「肥満体」である。
そういう自分自身の現実はさておいて、とりあえず「太っていた頃」を思い出してみたわけだ。
僕が太っていた頃、いつも不思議に思っていたことがある。
「そんなに食べた覚えはないのに、なんで太っているんだろう?」「ひょっとして僕は、同じものを食べても『太りやすい』体質なのかもしれない」
みんなも不思議に思わない?
デブは大食いする、というのは嘘だよね?だって大食いチャンピオンにあまりデブは見かけないし、デブタレントの人だって「実はあんがい少食である」というのを隠しているらしい。
ムチャ食いやドカ食いをすることもあるけど、それもしょっちゅうじゃない。なにより、自分以上に食べているくせに痩せた体型の人が近くにいくらでもいるじゃないか?
きっと「肥満遺伝子」とか「消化酵素の異常」とかで、ぜったいに自分の身体は太りやすくできているんだ。
だからダイエットなんかしても無駄だし、そんなことをはじめたら一生食べることを我慢しなくちゃいけなくなる。なにより、同じように食べてるのに自分だけ太ってるのは不公平だ。だからダイエットなんかしたくない。
とまぁ、そんな風に考えていたわけだ。みんなも同じじゃない?
さて、レコーディング・ダイエットの「助走」をはじめてから2週間ぐらいたったある日のこと。「面倒だなぁ」と思いながら自分の食べたものを「食事記録」と題名したテキストファイルに黙々と書き込んでいた。書いてるうちに小腹が空き、おかきとファンタを手にまた続きを書いた。書いてる最中に、いま食べているおかきとファンタも書き込むべきことに気づき、あわててそれも書き込んだ。
うぉう!危ねぇ。あやうくおかきとファンタ書き忘れるところだったぜ。
・・・アレ、と僕は思った。なんで書き忘れるんだろう?半日も前の食事ならともかく、いまこの瞬間に食べているものの事など忘れるはずはない。あれ・・・?
そう考えると、いくつも「書いてない食事」があるのに気がついた。たとえば珈琲。珈琲はノーカロリーだから(厳密には5kcalある)いくら飲んでも大丈夫。だから書かなくてもいいや、と思っていた。近くのカフェで珈琲を頼むとクッキーを何個かサービスしてくれる。たいていは残してるんだけど、たまに甘みが欲しいときに一個かじることもある。それも書いていない。
NHKの楽屋に常備してるチロルチョコも「ばかうけ」も、食べても書いてないときのほうが多い。
どんどん気になりだして、ついに僕は「口に入れた全てのものを記録する」というルールをバカ正直に守りだした。
するとまぁ、でてくるわでてくるわ。
一日に僕はこれだけの分量の「ご飯」「おやつ」「ドリンク」を身体に入れているのか。それも数時間おき、特に夜の9時を過ぎてからは30分毎になにか口に入れている。それが深夜の3時まで続き、寝る前にもう一口食べて満タンにしてから寝るのだ。
これは太って当然だなぁ・・・
僕は呆然とした。たぶん記録をつけると同時にカロリー制限したら、ここまでのショックというか現実認識は得られなかったに違いない。「助走」期間はカロリーなどの制限なしに、普段どおり食べたいものを食べて、ただひたすら記録をつけろ、という理由はここにある。
「人と同じだ」「みんな似たようなもの」と思っている自分の生活パターン、特に食事やおやつやドリンクの摂取回数・種類・サイクルをとことん知ること。これがないと、たぶんダイエットをはじめても続きにくいと思う。
すくなくとも僕は、あまりの自分の「無軌道な食いっぷり」を4ヶ月間記録して、ほとほとそういう生活に嫌気が差したのでダイエットをはじめられた。これが「痩せたいからとりあえず」と節制してしまうと、「ダイエットさえ終わったら、また昔みたいに食べられるんだ」と考えて、ダイエットがただ単に「我慢の期間」になってしまうだろう。
実は太るには太るだけの理由がある。
「太っている」という状態は、絶対に「太り続けるような行動」を毎日取らないと維持できないのだ。軍隊や刑務所など、「同じ行動と食事」を強要される場所で生活すると、みんな体型が似通ってくる。「太りやすい」「痩せにくい」という体質差はあるかもしれないけど、そんな微妙な差よりもはるかに「行動による差」が大きい。
「太るような行動」を毎日、それも無意識にまで習慣化されているから、人は太る。
「太っている」という状態から逃れるのは簡単で、まず自分がいかに「太り続ける行動」を毎日しているか、充分知ることからはじまる。
減量とかカロリー制限なんて、まだはじめなくていい。まず、現実を、それも「自分自身が目をつぶろうとしている現実」を把握するのが一番だ。
サラ金に追われている人間ほど、自分の借金額を知らないという。
「知ると余計に辛くなる」と彼らは考えて、だからその場限りの逃避をしたり、自分をさらに追い詰めるような行動に出る。
まず、自分の借金額と利率、あと自分の資産と収入を知ること。ここから再生の道がはじまる。
同じように、いま太っているからといってとりあえず、まだダイエットなんかしなくてもいい。
一日早くはじめたら、それだけ早く楽に痩せられる、というわけではない。
中途半端な決心で「食べない」とか考えても、それは無意識に「なんで僕だけこんな辛い目に」「早くダイエットやめて好きなもの食べたい」というマグマを溜めるだけだ。
まずは「助走」。
つまり「今までどおり、毎日食べたいものを食べる」
「口に入れたものはすべて記録する(できれば時間も)」
「毎日、同じ時間に体重を量る(可能ならば体脂肪率も)」
この三つだけでいいから、はじめてみよう。
安心して欲しい。レコーディング・ダイエットにはちゃんと終わりがある。いま痩せている人みたいに「なんでも好きなものを食べて」「制限とか考えずに」「ちゃんと痩せている状態を保つ」というゴールが設定されている。
前に僕は「助走」「離陸」「上昇」「巡航」というフェーズを紹介したけど、実はその後さらに「再加速」「軌道到達」というふたつのフェーズを用意している。最終段階の「軌道到達」というのは、人工衛星のように「もう落ちてこない状態」だ。つまり「ダイエットなんかやめてもかまわない」状態でもある。
だから、とりあえず今は「まず現状を知る」というところからはじめよう。
自分が太っているのは、実は「太り続けるような食事・行動を取っているから」という事実を知ること。
その「太り続けるような食事・行動」とは具体的にはなにか?を特定すること。
この間からの繰り返しになるけど、罪悪感や反省なんか必要ない。あなたが「そういう行動」を取ってるからには、絶対に理由があるはずだ。
「太り続けるような食事・行動」は、あなたの信念や生き方に密着していてやめられない、とか。
そこから得られる快感があまりに膨大で、それをやめてまで痩せてもちっとも幸せになれそうな気がしない、とか。
反省もナシ。とにかく「知る」こと。
そのうえで「どうしたいのか」をゆっくり考えよう。
僕はこの「助走」を5ヶ月、続けた。
5ヶ月間、自分を「さらに太らせる食事・行動」がやめられなかった。
しかし、5ヶ月間の間、徐々に意識しなくても次第に僕の「行動」は変化した。別に我慢するとか反省するとか、そういうのじゃなしに、だ。
自分の食べてるものが「本当に美味しい」のか「とりあえず食べ始めたから、最後まで食べてるだけ」なのか、考えるようになった。
コンビニで菓子パンを選ぶときも、「どうせ太るなら、美味しいものを食べて太ろう」とより慎重に選ぶようになった。
なにもダイエットしなくて、これだけで5ヶ月で10キロ痩せた。
これがレコーディング・ダイエットの第一段階「助走」である。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント