今週から新刊の『「世界征服」は可能か?』(ちくまプリマー新書)が発売開始されました。でも、どんな内容かとヒトコトで説明するのは、ちょっと難しいんですよね。
なので、出版社のOKも出たので、その「まえがき」部分を引用します。
ブログなどへ引用するときは、一部分だけの引用はおやめください。以下の文章を省略せずにそのまま使う限りならOKです。
はじめに 『なんで「世界征服」なのか?』
「ところで、このガーゴイルって秘密結社は、なんで世界征服なんかしたいんでしょうね?」
庵野秀明監督は、ため息をつきました。
「そんな面倒なことせずに、高度な科学力で自分らだけ楽しい暮らしすればいいのに・・・」
NHKアニメ「ふしぎの海のナディア」の制作も佳境に入った頃、1991年の年が明けて間もない頃の話です。
毎日アニメの制作やってると、ときどき息抜きがしたくなります。スタッフの落書きには正義に燃える主人公をからかうようないたずら描きがあったりするものです。
監督の、まるでグチのような言葉は、超多忙なアニメ製作現場からちょっと逃避したい、という気持ちのあらわれでした。
「ナディア」に登場する悪の秘密結社・ガーゴイルは、その高度な科学力で人類征服をくわだてます。それは番組の企画当時から決まっていた「お約束」でした。「ガーゴイル:人類征服をたくらむ悪の秘密結社」と、企画書にだって書いてあります。
でも毎日、アニメばっかり作ってると、ときどき何がなんだかわかんなくなるときがあります。
自分の好きではじめた仕事なのに、なんでこんなにしんどいんだろう?
アニメを作るなんて、子供の頃からの憧れだったのに、なんでこんなに辛いんだろう?
このガーゴイルって奴らもおんなじだ。高度な科学力で世界征服を進めてるのに、すぐにネモ艦長とかノーチラス号にジャマされて。組織の下っぱからトップまで、みんな仮面つけて会議ばっかりして。
アニメ作るのって、もっと毎日楽しいはずじゃなかったの?
世界征服って、もっとカッコいいものじゃなかったの?
そういえば企画書作るときも、こんな会話がありました。
「ガーゴイルって、どんな敵にする?」
「主人公側のノーチラス号が潜水艦だから、やっぱり敵は潜水艦の艦隊で攻めてくるんだよ」
「なるほど。じゃあその潜水艦隊で世界征服を企むわけだ」
「え?どうやって?」
「う~ん、だから罪のない船を襲うんじゃないの?」
「それは海賊だよ。ガーゴイルの目的は世界征服なんだから。岡田さん、どうします?なんか考えてください」
「う~んとね、『通商路破壊』でいいんじゃない?貿易の独占化だよ」
「え?もっと説明してくださいよ」
「インドで安い胡椒をヨーロッパに運ぶと儲かる。だから国際貿易はなりたつわけだ。ほら、当時の貿易って海路でしょ。ガーゴイルの潜水艦隊は、その貿易船を次々に沈める。略奪が目的じゃなくて、世界の貿易自体を不可能にする」
「ふんふん」
「なるほど」
「たとえ金やダイヤモンドが産出されても、貿易で他の国に売れなきゃ宝の持ち腐れだよね?ガーゴイルは、その貿易路を独占しちゃう。あらゆる資源の流通を握るガーゴイルこそが、世界の支配者なのだ!」
「をを、なんかソレっぽい!」
「決まりですね」
と会議はめでたく終了しました。自室に引き上げる私を、スタッフの前田真宏さんが引き止めます。
「岡田さん、ガーゴイルって世界の貿易を破壊するんですよね?」
「そうだよ」
「でも舞台となる19世紀後半って、先進国が後進国を植民地化していた時代ですよね。で、その植民地化というのは、後進国の安い労働力や資源を先進国が力ずくで奪い取っていた」
「うん、中学や高校でも習ったよね」
「だから、ガーゴイルが通商を破壊する、というのは、その先進国による植民地化を妨害する『正義』なんじゃないですか?」
「・・・あ!ほんとだ!どうしよう?」
困ってしまった私は、いっしょうけんめい打開策を考えました。
なにせスケジュールは放映前からすでに遅れています。こんなところでスタッフを迷わせてはいけません。
「う~ん、でもでも、その『正義』というのは、あくまで現代人の我々から見たら、の話だよね?」
「はい」
「19世紀の植民地帝国支配と、20世紀の二度の世界戦争、その後の民族独立運動という歴史を知ってる我々にとっては、世界の植民地化を防ぐというのは『正義』っぽく聞こえるけど、当時の『正義』は違っていたはずだよ」
「たしかにそうですね。当時後進国だった日本も、植民地化されないために帝国を作ろうとしてましたからねぇ」
「おまけにガーゴイルは『世界の植民地化』を防ごうと戦っていたんじゃないよ。ガーゴイル以外のすべての世界を植民地しようとしてるんじゃないの?」
「あ、なるほど。そりゃ悪い奴らですね。いわゆる『悪の帝国』ですね」
「そうそう、奴らは『悪の帝国』なんだ」
と、当時の私たちはそのあたりで納得していました。
そういうわけで議論は終わり、「ガーゴイル:人類征服をたくらむ悪の秘密結社」と書いた企画書も、NHKに無事に提出できました。
でも、妙に庵野監督の言葉がひっかかるんです。
「ガーゴイルは、なんで世界征服なんかしたいんだろう?」「高度な科学力で自分らだけ楽しい暮らしすればいいのに」
本当にそうだ。なんで悪の帝国は「世界征服」なんかしたいんだろう?
「世界征服」みたいな悪いことを企むから「悪の帝国」なのかな?
究極の悪イコール世界征服、ということだろうか?
私の頭はこんがらがってしまいました。
「世界征服って、本当に可能なんだろうか?」
「悪の帝国の手段や目的はなんだろう?」
「世界征服って悪いことだろうか?そもそも『悪』ってなんだろうか?」
あの日から15年たった今でも、私はときどき考え込んでしまうのです。
ちょっと恥ずかしいけど、思いきって告白します。
小さいころの夢は「世界征服」でした。
世界中の人々が、「はは~っ」と自分にひれ伏す。
見渡す限りの人民が毎朝、「岡田さま、万歳!!」と叫ぶ。
朝日をバックにそびえる塔のバルコニーから眺めながら悠々と手を振るのは、どんなに気持ちが良いことでしょう。
えっ?現実離れしすぎですか?
でも、この夢、子供の間ではけっこうメジャーでしたよ。
さすがに「野球選手になりたい」とか「宇宙旅行をしたい」ほどはメジャーではありませんけど、それでも小学校の卒業文集に「将来は世界征服!」と書くお調子者が、クラスに一人や二人いた気がします。
みなさんもよく思い出してください。
小さい頃、一度くらいは「世界征服」にあこがれたこと、ないですか?
ほんとうに世界征服を目指したチンギス・ハーンや織田信長なんかを歴史で習うずっと前。もっと小さい頃のことです。学校で習う歴史なんかじゃなくて、子供にとってもっと身近な世界。テレビやマンガを夢中で見ていたころ。アニメや特撮番組なんかは、まず悪の秘密組織が悪いことをすることから、お話が始まります。
「悪の帝国」には、見た目も恐ろしい悪の幹部がいて、大勢の戦闘員たちを手足のように使い、毎回、新しいロボットやメカや怪獣を繰り出して、街を破壊したり悪いことをします。
すると正義のヒーローが颯爽と現れて、その野望は打ち砕かれてしまいます。
悪の幹部は「く、悔しい!」と地団太を踏んだり、悪の首領にしかられたりして、次こそはと決心を新たにするわけです。
悪の組織の目的は、必ずと言ってよいほど「世界征服」でした。目的というより、スローガンというカンジですね。
子供の頃は、そんな「悪の帝国」が大好きでした。
もちろん、悪をかっこよくやっつけるヒーローにあこがれるよう、番組は作られています。でも、テレビで毎週毎週みていると、最初はかっこよかったヒーローも、どうしてもワンパターンに見えてくるじゃないですか。
敵が出てきたら出動して、やっつける。彼らがするのはそれだけです。
(中略)
「こういうことを考えるのは私がヒネくれているせいなのかな」と思っていたのですが、そうでもないようです。大阪芸術大学で学生たちに聞いてみたところ、卒業文集に「夢は世界征服」と書いた人が何十人もいました。
世界征服好きは、男女を問わず、世代を問わず、みたいですね。
前置きが大変長くなりました。
この本は「オトナのための世界征服」についての本です。大人になったいま、あえて「世界征服とはなにか?」「悪とはなにか?」についてマジメに考えてしまおう、という内容です。
といっても、ひところ流行ったいわゆる謎本のように、懐かし話やあるあるネタを語るばかりではありません。
心の底からヒーローを応援しているはずなのに、でも心の裏側で密かに「ヒーローが負けて世界が征服されるシーンも見たいな」と思ったこと、ないですか?
格差社会といわれる現代、希望すら持ちにくくなってしまっている現実社会。いっそのこと、一度全部破壊してやりなおせたらいいのに、と思ってしまったこと、ないですか?
そこでこの本は「現実的に世界征服してみたらどうなるか?」を具体的にシミュレーションしてみた本です。いったい「世界征服」って何なのか?本当に「世界征服」って可能なのか?自分が征服するつもりになって、一度まじめに考えてみた本です。
まず、自分はどういうタイプの「征服者」なのか考える。
次にどうやって仲間を集めるか、「悪の帝国」の組織作りと、どうやって活動を始めるのか。
そして、晴れて世界を征服した暁には、そろそろ後継者問題も考えなくっちゃ。
できるだけ具体例を出しながら、「征服しちゃったら、どんな未来があなたには待っているのか」までフォローする構成になっています。
さあ、ではまず最初に「世界征服の目的」を考えてみましょう。
(第1章に続く)
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