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2010年4月 2日 (金)

あなたのFREE世界(最終回)

 すべてはFREEの世界へ向かっているんだ。
 新サイト、いよいよ今夜12時にはじまるよ。

 今夜23時半からtwitterでカウントダウンイベントします。
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 この一連のシリーズは二つのブログ(「岡田斗司夫のゼネラルプロダクツ」「レコーディングダイエット2.0のススメ」)の交互で進行しています。
 これまでのバックナンバー
  その1
 その2
 その3
 その4
 その5
 その6
 その7
 その8
 その9
 その10
 その11
 その12
 その13
 
 
 お疲れさまでした。
 今日のブログで僕の話はおしまい。
 長い話に最後まで付き合ってくれて、本当にありがとう。
 この2週間、とにかく「正直に書く」ことだけを念頭に置いて書いたよ。だから文章に余計な熱が入っちゃったかも知れない。昨夜のブログなんかあきらかに「アタマおかしい世界」に入っちゃってるよね(笑)
 だけど、僕のそういう一面も見て欲しくて隠さずに書いたんだ。今は「岡田斗司夫もヘンになっちゃたな~」と笑ってくれるのでもかまわないよ。
 でもこれだけはおぼえておいて。
 僕の話じゃない。「君の話」も書いたつもりなんだよ。
 
 では、最後のブログです。
 
 僕の目標は、「歴史に残るアニメを作る」ことだった。
 
 いまから30年前、大阪でSF大会が開催された。DAICONⅢといえば知ってる人もいるかもしれない。僕はそこでアニメを仲間たちと作っていた。
 どんな仲間たちか、どんなアニメだったか。ネットで調べればすぐにわかる。
 問題はその時の僕が本気で「人類の歴史に名を残そうとしていた」ということだ。
 当時のスタッフは、当たり前だけどそんなこと信じてはいなかった。「また岡田さんの景気のいい話がはじまったなぁ」と思っていただけだろう。
 でも僕は本気だった。本気だからこそ「人類の歴史に残れるかどうか」がすべての判断ポイントでの基準となった。
 
「この絵のレベルではダメ」「この動き、どうにかならない?」
 DAICONⅢでは「自分たちのアニメが作れる」でせいいっぱいだったけど、2年後のDAICONⅣでは本気で「歴史に残る」つもりだった。
 
「ルーカスやスピルバーグは、すでに追い抜いた。DAICONⅣでクロサワやトミノやオーソン・ウェルズ、キューブリックも追い抜ける。おそらくその次のアマチュア最後の作品か、プロ作品第一作で映画の歴史を塗り替えて、僕たちは人類の歴史に名を残すことになる」

 笑っちゃいけない。いや、無理かな(笑)
 でも当時の僕はそう信じていたし、だからこそ監督やスタッフに一切の妥協を許さなかった。当たり前だ。まだ大学生なのに、人類の歴史を作ってるんだよ。テストとか留年とか言っちゃダメに決まってるじゃん(笑)
 
 だから当時、僕は後輩やスタッフから「岡田さんはキチガイだから」と言われた。もちろん大阪人の笑いながら言う例のノリだから悪意はない。悪意はないけど「しかたないなぁ」というあきらめの気持ちで付き合ってくれたんだと思う。
 
 でも、スタッフたちはなぜか、そんな僕の「狂った夢」を聞きたがってくれた。
 自分たちはどこに向かっているのか。なぜ、こんなに苦しんでアニメやSF大会を作り上げなくちゃいけないのか。
 スタッフの参加率が減ると、きまって僕は武田さんや神村君から「みんなの前で話してくれ」と頼まれた。ふしぎなことに僕が話すとまた参加率が上昇した。
 
 みんな僕の話を、夢を、目標を信じてはいない。
 でもみんなの「やる気」を出すことはできる。元気にすることぐらいはできる。そんなささやかな差でも、完成したフィルムにはちゃんとあらわれるんだ。
 僕たちの作ったアマチュアアニメは、それはもう大成功というのも控えめなぐらい「伝説」になった。
 
 でも、僕は敗北感でいっぱいだった。
 DAICONⅣは16ミリフィルムで20分の作品になるはずだったのに、完成したのは8ミリでたった3分だ。内容もストーリーもドラマもすべて跡形も残らないほど削り落とされ、ただのビデオクリップみたいな映像が残っただけだ。

 冷凍睡眠から目覚めた女の子は、すべてが計画を逸脱していることに気づく。数百年間のあいだ恒星間宇宙を航行するあいだにここが巨大宇宙船内だということを忘れた乗組員子孫は、果てしない争いを続けていた。成長した女の子は宇宙船ブリッジへ向かっての旅をはじめる・・・
 
 このストーリー、どこに消えちゃったの? 
 ルーカスもスピルバーグも追い抜けなかった。1年もかけたのに!
 スタッフのみんなは幸せそうだったけど、僕は落ち込んでいた。
 
 どうだい?イヤな奴だろう?(笑)
 僕はそんな奴だったんだ。
 
 しかしまぁ、その頃の僕に取り柄があるとすれば、立ち直りが早いことだ。
 「人類の歴史に残る計画」が1年延びただけ、と気を持ち直して、後に『王立宇宙軍~オネアミスの翼』という映画の企画をはじめる。
 ここでも僕は周囲を妥協させなかった。人類の歴史に残るフィルム作るんだよ?山賀は「一億欲しい」とか井上さんも「一億五千万もらえれば大成功」って言うけど、そんな予算で歴史が作れるものか!
 最低で三億6千万、音楽は抜きで、だ!
 この時代、たしかに日本のアニメ映像センスは世界の最先端を走っていた。ここで決定打を出せば、ナウシカを追い抜きさえすれば、僕たちは「世界一」になれる!
 
 ここから先の話はいいだろう。
 以前、イベントでも語ったことがあるし、なによりも映画が残っている。
 肝心なことは、いつの間にか僕は「狂って」いなくなっていた、ということだ。
 いつの間にか、アタマは治っていた。
 
「自分たちの本当に作りたいアニメを作ろう」
「スタッフが本気で誇りに思えるアニメを作ろう」
 ね?健全だろう?
 こういう「成長」した現実的な目標を語れるようになっていた。
 
 楽しくアニメを作れるようになって、なにより自分の作ったアニメを「また失敗だ!」とか考えずに楽しめるようになった。
 だから『トップをねらえ!』は大好きな作品だ。僕の中の「狂った」部分と、治癒した部分がバランスよく入った作品だから。
 
 でもね、今なら言えることなんだけど、僕みたいな人間は「治った」りしたら取り柄がないんだよ。
 「歴史に名前を残そう」とか「人類を救おう」というのは異常に肥大した自意識や自我のあらわれだ。
 いわゆる「中二病」というやつだね。
 でも、その「異常さ」は確実に普通以上の熱量を孕んでいる。周囲に影響を与えるほど膨大な熱量があるからこそ、「迷惑だけど役に立つ」。
 
 そう、原子力発電所みたいなものだね(笑)
 中二病の男は、中二病の平和利用を考えるしかないんだ。
 中二病を直したら、それこそなんの取り柄もないんだよ。
 
 だけど今、中二病の発症はどんどん拡大している。
 結果、なんだかすごくマズいことになってるんだ。
 伝説のハッカー、ポール・グレアムの『ハッカーと画家』の一部がここで読めるよ。
 「なぜ頭のいい子供(オタク)は人気者になれないのか?」
 
頭のよさとオタクになることの間には、強い相関関係があって、オタクになることと人気者になることの間には、それ以上に強い負の相関関係がある、って。頭がいいと、人気がなくなるようなんだ。

 ね?気になるでしょ?
 ちょっと長いけど、ぜひ読んで欲しい。
 

 
 これってアメリカだけの話じゃないよね?
 アメト~~クの「中学の時にイケてない芸人」を見た時にも驚いた。僕が中学生の頃はそこまで同調圧力が強くなかったけど、いま学校ってそんな場所なんだ、とびっくりしたんだ。
 
 じゃあオタクや頭のいい人は、こんなくだらないことをしないのか?
 そうじゃない。人間は同じなんだ。一度受けた屈辱が忘れられないから、今度は「やる側」になって同じ事を繰り返す。
 たとえば僕と同じか、僕より少し下の世代の人たちが2ちゃんねるを見るとみんな驚くんだよ。
 良質な人もいるんだけど、悪意だけに満ちた発言も多い。
 知能指数の高そうな知的な書き込みをしてる人も、その能力のかなりを傾けてなんとか人を引きずり下ろすことに熱中している。というよりサバイバル戦略として選択してる、かな?
 
 そう、これが「評価経済社会」の負の側面だ。
 評価経済社会は「やがて来る」んじゃない。
 すでに来ている。
 社会変化は子供たちや若者の世界から、上の世代へと駆け上がってくるんだよ。
 海の向こうを見るだけじゃいけない。足下を、子供たちの世界から変化はすでにはじまっている。
 
 オタキングexは貨幣経済社会を終わらせ、評価経済社会を生み出すチカラの一つになろうとしている。
 これは間違いない。
 では、その新しい世界、評価経済社会とは、はたして「素晴らしいだけの楽園」なのか?
 違うんだよ、悲しいことに。
 
 人類は永遠に楽園には行けない。それだけははっきりしている。
 だから今の世界を「ほんのちょっとだけ」マシにする努力が大事なんだ。
 
 貨幣経済社会の欠点とはなんだろうか?
 「他人の貨幣を奪うと得をする」という仕組みが最初からビルトインされていることだ。貨幣の発行量を制限しないと無制限のインフレになってしまう。なので貨幣経済において「豊かになる=他者の貨幣を奪う」であるのは当然だ。
 『カイジ』の限定ジャンケンで、勝者が敗者からワッペンを奪う瞬間、あれが貨幣経済の本質なんだ。
 豊かになるとは、誰かから奪うこと。
 だから現代の成功者たちは「広く薄く」を目指す。他者から奪うんだけど、痛みを感じさせない程度の「掠り取り」で奪われたことに気づかせない。
 
 では、来るべき評価経済社会の欠点とは?
 「他人の評価を下げるしか楽しみがない人であふれる」だ。
 評価は個人的なものだから、総量制限はない。もし評価経済社会への移行と共に評価通貨が発行されたら、ひょっとして「評価の奪い合い」になるかもしれない。そのあたりはオタキングex社内の思想本部でも議論の対象になっているよ。
 
 とにかく、評価経済の中でも「評価の貧富差」はかならず発生するだろう。
 評価を上げるためには、人に感謝され認められることをすればいいんだけど、話はそんなに簡単じゃない。
 絶対に「人の評価を下げることだけ」を生き甲斐にする人が現れる。そして、その十倍の数の「ターゲットにされないために、評価を下げる側に廻ろうとする人」が続出するんだ。
 
 今の中学校で起きていることが、社会一般に拡大してしまう。これが評価経済社会のマイナスだ。
 では、このマイナスを防ぐにはどうするか?
 ポール・グレアムの考えをひと言でまとめると、こうなる。
 「人間を閉じこめると『退屈しのぎの暴力』が場を支配する」
 そう、問題は「閉じこめられている」ことなんだ。
 
 貨幣経済であれ評価経済であれ、たとえ恋愛や友人関係であっても対人スキルによって貧富の差は発生する。
 経済弱者、恋愛弱者、人間関係弱者など、いろんな弱者が生まれる。
 リアルな世界で生まれたそのような「多層な貧富差」は、ネットにより解消される、と言われた時代もあった。でも違った。ネットは「場」となってあらゆる人を飲み込み、それぞれが「居心地のいい場所」を見つけると同時に、そこは「閉じこめられた場所」になる。
 誰かに閉じこめられるんじゃない。自分で「閉じこもる」んだ。そこが一番居心地がいいからね。
 すると「退屈しのぎの暴力」が発生しはじめる。よく観察すると、ブログでも2ちゃんねるでも「誰かを引き落としてる場」にいるのは同じような人たちばかり。開かれているようで実は「閉じこめられている」。
 当たり前だよね。新参者がそんな発言ばっかり読んだらドン引きだよ。システムとしては開かれてるはずなのに、「閉じこめられてる」というのはそういう理由なんだ。
 
 評価経済社会の欠点は、「評価弱者=自分の評価が不当に低いと感じる者」のセーフティネットがまだ整備されていないこと。だから「他者の評価を下げる=自分の評価が上がる」という勘違いが生まれるんだ。
 
 オタキングexが準備している、これに対する回答が「拡張型家族」だ。
 もう一つの会社であり、学校であり、家族である。
 それは「今の会社がイヤでも、好きなことをするのは楽しいよね?」という問いかけだ。
「学校が嫌いでも、働きながら教わったり教えたりは楽しいかもよ?」
「家族がイヤだとしても、ゆる~い繋がりの『家族ごっこ』なら居心地良いかもよ」
 こんな提案をしたいんだ。
 
 ネット上で出会える人たちを「遠い親戚」みたいに考えよう。
 本当の家族に相談できないことも、でも信頼できる「会ったことのない人」にだったら打ち明けられるよね?
 そういう人たちとの繋がりを僕は「拡張型家族」と呼んでいる。つまり「家族ex」だ(笑)
 
 評価社会が来た時に、この「拡張型家族」というシステムなしだったら、中学のあの悪夢が社会全体に広がることになっちゃう。
 特に僕たち「理屈っぽい人」はクールでしょ?なんとなく人間関係を煩わしく考えて、頭脳だけで勝負できるネットの世界の方が気楽じゃない?
 だからネットの世界に「閉じこめられちゃう」し、閉じこめられると「退屈と暴力」が場を支配する=叩きが横行するのは当然なんだ。
 
 リアルの世界だけだと息苦しい。いろんな多層的な貧富差が逃げ場を奪っちゃう。
 ネットの世界はその無名性ゆえに、あまりに自由すぎて安心できる場にはならない。自由すぎて「一番楽な場所」に閉じこめられることも多い。

 もう一つの世界。
 拡張型の仕事の場、学びの場、仲間や家族としての場。
 それをオタキングexは目指してるんだ。

 だからオタキングexには専任社員はいらない。みんな兼業で参加すべき。我が社を誰も「唯一の居場所」にするべきじゃない。
 我が社で得た学びや仲間や評価を、どんどん自分の周囲にも還元すべきなんだよ。

 家族だから、僕はその中では理不尽な存在になるよ。
 みんなの機嫌を取ったりしないし、仕事だって指図しちゃう。
 命令は矛盾してるし、機嫌が悪いとスネたりもする。
 そうなるとゆうこママでも手をつけられない。
 マジメな話、もちろん自由参加が原則だから仕事しないのは自由なんだけど、さぼるのはダメ。「する」って言ってしないのは仲間に迷惑だからね。
 仕事だけだと、人に命令なんかできない。だって「金銭の交換と引き替えに労働力を買ってる」わけだもん。労働者の利得は「少ない労働で最大の賃金を」だし、経営者の利得は「少ない賃金で最大の労働を」だ。
 でも、家族だから僕は本気で叱るし、命令もする。
「お前のしょーもない幸せなんか後回しじゃ!人類のために働けボケ!」とか言うかもよ。
 なんせ我が社は、ボランティアで世界征服を企むSFC(すこしふしぎなカンパニー)だからね。

 え?世界征服に興味がある?
 奇特な人だねぇ(笑)
 わかった、いっしょに働きたい人は、もう少し待ってくれ。
 「入社案内」を作ってる最中だから。新サイトで後日、発表します。

 じゃあ、これが本当に最後だ。

 おぼえてるかな?
 最初はほんの小さなきっかけではじまった。
 「ひとり夜話」を見たい!と言ってくれたあのメール。
 イベントには行けないけど、お金には余裕がないけど、それでも見たい!と言ってくれたメールやコメント。
 これに答えるのが目的で動き出したのが、オタキングexの原型だ。
 
 まだ完全な映像配信には遠い。
 みんなの住んでる町に出かけて、僕の話を直に聞いてもらえるようになるのは、ずっと先かも知れない。
 それでも一歩ずつ目標には近づいているよ。
 とりあえず今夜12時、オープンする新サイトを体験してみて欲しい。
 「望むすべての人に、ひとり夜話をFREEで!」
 これが我が社の第一期目の目標なんだ。
 
 そう。すべてはFREEの世界へ向かっているんだ。
 僕は、僕たちは、そこで君を待っている。
 
 新サイトで、今夜12時に会おう。

 平成22年4月2日(金) 吉祥寺にて
 岡田斗司夫&オタキングex

BGM『誰かが風の中で』

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